今回のタイトルは「光の子供らしく歩みなさい」としました。歩むとは生き方のことを言っています。私たちはイエス・キリストの十字架によって罪が赦され、神の子供とされています。だから、「天の父なる神よ」と呼びかけ、お祈りすることができるわけです。父なる神は愛なるお方で、私たち神の子供を一人ひとり愛してくださっています。愛されている子供らしく、神にならう者となりなさい(1節)、と使徒パウロはエペソ教会の皆さんに勧めています。
神にならうとは、キリストにならうと言い換えていいと思います。中世の修道僧でトマス・ア・ケンピスという人がいましたが、「キリストにならいて」という素晴らしい本を書いています。一言で言えば、「自分を捨て、キリストに従う」ということになりますが、黙想するにはとても良い本です。
キリストにならうとは、この世の流れ(この世の価値観)にならうのではない、ということです。この世の価値観は主要メディアを通して流されています。不品行などです(3節)。聖書を読んでみましょう。
1 ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。2 また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。3 あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。4 また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。
5 あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者—これが偶像礼拝者です、—こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。6 むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。7 ですから、彼らの仲間になってはいけません。8 あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。
9 —光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです—10 そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。11 実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。12 なぜなら、彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。
13 けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。14 明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」(エペソ人への手紙 5:1-14)
執筆中のパウロ
不品行は、現代社会の大きな問題の一つだと思います。性の自由、解放、性の多様化、そういったものがあたりまえになりつつある時代において、クリスチャンたちが純潔を保つこと、神の基準によって生きることが難しくなっているわけですが、この領域においてキリストにならう、神にならう、聖書の言葉に従うことが、これからの時代ますます大事になってきます。なぜなら、汚れた者は更に汚れ、聖い者は更に聖くなっていくからです。おそらく真ん中の状態というものが、そこまで汚れていないけれど、聖くもない、そういった中途半端な状態が段々となくなっていくでしょう。それが世の終わりの特徴になると思います。結局、結婚関係以外で男女が性的関係を持つことによって、人間性が傷つき、性病が発生し、社会は乱れていきます。これが加速していく準備が整っているように感じています。闇が日本と世界を覆っていきます。ですから、私たちは光の子供らしく生きることが求められているのです。
みだらなこと、愚かな話、下品な冗談を避けなさい(3節)、舌を制御しなさい、ということです。悪い言葉ではなく、人の徳を養うのに役立つ言葉を話すように心がけなさい(4:29)とあります。そうでないと、聖霊が悲しまれるからです。神の聖霊を悲しませてはいけません(4:30)と書かれています。聖霊は、三位一体の第三位格です。父なる神、御子イエス・キリストに人格と感情があるように、聖霊にも感情があります。だから聖霊も悲しむのです。自分がキリストにならう歩みをしているか、そうでないか、何をどのように変えることを神は自分に願っておられるのかは、内に住んでいてくださる聖霊が教えてくださいます。
エペソ教会の人たちは、以前は暗闇でしたが、今は光となっていました(8節)。
この手紙を書いた使徒パウロもそうでした。パウロは天からの光によって、主イエスに出会うことができたのです(使徒の働き9章)。目からうろこが落ちました。劇的な価値観の転換を体験しました。見えていると思っていたけれど、本当は見えていなかったことが分かりました。自分が正しいと思っていたけれど、実は間違っていたことが分かったのです。そして、光であるイエス・キリストを自分の救い主として信じたのです。
主イエスは光です。イエスは言われました。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです(ヨハネの福音書 8:12)。」
そして神は光です。神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです(ヨハネの手紙 第一 1:5)。天地創造の最初に神は光を創造されました。神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された(創世記 3:3,4)。
悪魔の反逆と人間の罪によって、この世界は闇が支配するようになりました。人間も闇に属するようになっています。しかし、闇は光に打ち勝つことはできません。光は闇に打ち勝ちます。イエス・キリストはサタンを打ち砕きました。
北海道で2018年に胆振(いぶり)東部地震がありました。停電してブラックアウトが起こりました。何の準備もしていなかったので、携帯の光を頼りにしました。今はしっかりと懐中電灯を用意していますが、でも当時携帯の小さな光でも闇を照らすことができました。光は闇に勝ちますが、いつでも準備をしておくことが大切ですね。
エペソ教会の人たちもそうでしたが、私たちもそうです。以前は暗闇でした。アダムに属する古い人でした。原罪のために生まれながらに罪を持ち、神の怒りを受ける者でした。しかし、神の恵みによって、神の選びによって、逆転したのです。今は光となっています。私たちはイエス・キリストに属する新しい人に生まれ変わることができたのです。新しい誕生、2回目の誕生をしたのです。神の赦しを受け、神の怒りから逃れることができ、神の祝福を受け取る者へと変えられたのです。
光となったことに満足してはいけません。パウロはエペソ教会のクリスチャンたちに言いました。「光の子供らしく歩みなさい」(8節)と。暗闇のわざに仲間入りしないように(11節)と伝えます。誰と友だちになるか、誰と交際するかはとても大切です。必ず影響を受けるからです。悪い影響を受ける人間関係ではなく、良い影響を受ける人間関係を構築していくことが必要になってきます。
光の子供らしく歩むことについてですが、主に喜ばれることが何であるかを見分けることが大事になってきます(10節)。霊的な洞察力です。アダムとエバは善悪の知識の木の実を取って食べました。それは自分で善悪の基準を判断するようになったということです。それが彼らを罪へと、闇へと、悪魔の支配へと追いやっていったのです。それは現代も同じです。自分で善悪の判断をするなら間違います。またこの世の価値観によって判断していくなら、間違った方向へと連れていかれることになります。この世の価値観によって生きているなら、キリストと神との御国を相続することができません(5節)。
一人ひとり状況が違います。ですから、最終的には自分で主に喜ばれることが何であるかを見分け、判断し、決断していくしかありません。そして、自分でその責任を取るわけです。主の喜ばれることは何かを見分け行動するようにします。これは自分で祈って考えることが大切です。もちろん基準は聖書ですが、主の御心がどこにあるか分からないケースはたくさんあると思います。相談することも大切ですが、その時に大事になってくるのは、自分で祈り、考え、主の御心を求めていくことです。私たちは内に聖霊がおられるので、自分で祈って考え、判断することができます。なぜなら、聖霊は助け主だからです。
最後に、光の子供らしく歩む、ということにおいて2つのことを書きます。
一つは、「教会の中において」です。光の子供らしく歩むということは、互いに赦し合うこと、教会を建て上げることです。聖霊を悲しませないことです。闇に生きるなら、一つとなることを妨げていくからです。聖霊の願いは、私たちがクリスチャンとして成長していくこと、一致していくこと、そして「キリストのからだ」である教会が健全に建て上げられていくことです。
二つ目は、「教会の外において」です。使徒パウロは光である主イエスに出会い、光の子供とされ、光を伝える使命が与えられました。使徒の働き 26:18に書かれていますが、人々を暗闇から光に、悪魔の支配から神に立ち返らせ、罪の赦しを得させ、御国を受け継がせる使命です。
私たちにも同じ使命が与えられています。イエスが仰いました。あなたがたは、世界の光です。あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい(マタイの福音書5:14,16)。
最後にイザヤ書 60:1を見ましょう。起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。
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