人生における最重要の3つの問い

ヨハネ8.9章の主題は「光」です。先日、停電があり、真っ暗になりました。そのような時に懐中電灯が役に立ちます。この世界は闇です。しかし、イエス・キリストは光です。聖書にはこのように書かれています。

12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」13 そこでパリサイ人はイエスに言った。「あなたは自分のことを自分で証言しています。だから、あなたの証言は真実ではありません。」14 イエスは答えて、彼らに言われた。「もしこのわたしが自分のことを証言するなら、その証言は真実です。わたしは、わたしがどこから来たか、また、どこへ行くかを知っているからです。しかしあなたがたは、わたしがどこから来たのか、またどこへ行くのか知りません。15 あなたがたは肉によってさばきます。わたしはだれをもさばきません。16 しかし、もしわたしがさばくなら、そのさばきなら、そのさばきは正しいのです。なぜなら、わたしひとりではなく、わたしとわたしを遣わした方とがさばくのだからです。17 あなたがたの律法にも、ふたりの証言は真実であると書かれています。18 わたしが自分の証人であり、また、わたしを遣わした父が、わたしについてあかしされます。」19 すると、彼らはイエスに言った。「あなたの父はどこにいるのですか。」イエスは答えられた。「あなたがたは、わたしをも、わたしの父をも知りません。もし、あなたがたがわたしを知っていたなら、わたしの父をも知ってたでしょう。」20 イエスは宮で教えられたとき、献金箱のある所でこのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。21 イエスはまた彼らに言われた。「わたしは去って行きます。あなたがたはわたしを捜すけれども、自分の罪の中で死にます。わたしが行く所に、あなたがたは来ることができません。」22 そこで、ユダヤ人たちは言った。「あの人は『わたしが行く所に、あなたがたは来ることができない』と言うが、自殺するつもりなのか。」23 それでイエスは彼らに言われた。「あなたがたが来たのは下からであり、わたしが来たのは上からです。あなたがたはこの世の者であり、わたしはこの世の者ではありません。24 それでわたしは、あなたがたが自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。もしあなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。」25 そこで、彼らはイエスに言った。「あなたはだれですか。」イエスは言われた。「それは初めからわたしがあなたがたに話そうとしていることです。26 わたしには、あなたがたについて言うべきこと、さばくべきことがたくさんあります。しかし、わたしを遣わした方は真実であって、わたしはその方から聞いたことをそのまま世に告げるのです。」27 彼らは、イエスが父のことを語っておられたことを悟らなかった。28 イエスは言われた。「あなたがたが人の子を上げてしまうと、その時、あなたがたは、わたしが何であるか、また、わたしがわたし自身からは何事もせず、ただ父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話していることを、知るようになります。29 わたしを遣わした方はわたしとともにおられます。わたしをひとり残されることはありません。わたしがいつも、そのみこころにかなうことを行うからです。」30 イエスがこれらのことを話しておられると、多くの者がイエスを信じた。(ヨハネの福音書8章12-30節)

イエスは言われました。「わたしは、世の光です。」 そしてイエスは約束されています。「わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです」(12節)。

イエスが光のことを語った時、仮庵の祭りを強く意識していたと思います。光は仮庵の祭りの重要な要素でした。仮庵の祭りは、イスラエルの民(先祖たち)が荒野を旅していた時、神が幕屋に臨在されて(住まわれて)、イスラエルの民を守り、約束の地カナンへと導かれたことを感謝する祭りで、一週間彼らは木の枝で作った小屋に住みました。

幕屋(テント)の中は真っ暗でした。唯一の光は、燭台の光です。私がパプアニューギニアに行った時、村では家も教会堂も電気が通っていないので真っ暗でした。教会堂はちょうど幕屋のように木の枝で作られていました。光が全くないので、ランプがなければ目の前にいる人の顔も見えません。幕屋もそのようなものだったのでしょう。 

神は天地を創造される時、「光があれ」(創世記1章3節)と言われました。すると光が現れ、闇が消え去りました。神は光です。神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。(ヨハネの手紙第一 1章5節)

神は荒野を進むイスラエルの民を、昼は雲の柱、夜は火の柱の中に臨在されて、彼らを導かれました。同じように聖霊が私たちを導いてくださいます。また聖書のことばが私たちを正しい道へと導いてくれます。あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。(詩篇119:105)

イエスは世の光です。私たちも光の中を歩むことができます。なぜなら、私たちには聖霊の導きとみことばがあるからです。イエスは私たちに光の中を歩む以上のことを期待しておられます。それは私たちが世の光としての使命を果たすことです。あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイの福音書5章14~16節)    

イエスはご自身のことを光であると宣言されましたが、パリサイ人たちはその証言は真実ではないと主張しました(13節)。自分でどのようにでも言うことができるではないか、というわけです。

しかし、イエスは「いいえ、私の証言は真実です」(14節)と答えられました。「なぜなら、私は自分がどこから来たのか、またどこへ行くのかを知っているからです。すなわち、私は天から来ました。そして天へ戻って行きます。私は神の国からの大使です。父なる神よりこの世界に私は遣わされたのです、ですから、私の父、父なる神が私の証言を立証してくださるのです。律法にも、二人の証言は真実であると書かれているではありませんか(17節)」と言われたのです。

すると彼らは「あなたの父はどこにいるのですか」(19節)と質問します。イエスは答えます。「私を知っていたら、私の父をも知っていたでしょう。(19節) ヨハネの福音書10章30節でイエスは言われています。「わたしと父とは一つです。」

これは正統的なキリスト教の信仰告白です。イエスと父なる神を一つとしないのは、異端です。今は惑わしの時代です。イエスを何とか神の位置から引きずり降ろそうとします。ですから、三位一体の教理は非常に大切です。この時代において、惑わされないために必要な知識の一つは三位一体の神の正しい知識です。

14節にイエスのアイデンティティ(自画像)が書かれています。イエスはどこから来て、どこへ行くのか?イエスは天から来て、天へ行きます。父なる神の元から来て、神の元へ帰ります。

私たちはどうでしょうか? 私はどこから来て、どこへ行くのか。これにどう答えるかで、私たちのアイデンティティが決まります。ある意味、この答えを見つけるために全ての学問があると言っても過言ではありません。人類は昔も今もこれを追求しています。人生における最重要の3つの問いがあると思います。「私はどこから来たのか?」 「私はどこへ行くのか?」「私は誰か?」

私たちはどう答えるでしょうか。私はどこから来たのでしょうか?「私は神から来て、神の元へ行く。私は神によって創造され、創造主の元へ帰ります。私は偶然の産物ではありません。進化してきたのでもありません。死んで終わりでもありません。神が目的を持って、愛を持って、良い作品として、私を創造してくださった。」と答えることができるなら幸いです。

私たちはどこへ行くのでしょうか? 私たちは「私は天国へ行きます。私を造られた創造主の元へ帰ります。私はこの世に属する者ではありません。私の国籍は天にあります。」と答えることができます。イエスを信じる者にとって肉体の死は、全ての終わりではなく、永遠のいのちの、新しいいのちの始まりです。

イエスは「もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです(24節)」と言われました。イエスを信じるなら、罪の中で死ぬことはありません。なぜなら、罪はイエスの十字架の血で洗い流され、赦されるからです。ちょうど姦淫の罪を犯した女性のようにです(参考 https://canaan.blog/declaration-of-forgiveness-of-sins)。イエスは彼女に宣言されました。「私もあなたを罪に定めない」(ヨハネ8:11) この宣言が私たちにも宣言されます。ですから、私たちは闇の中ではなく光の中を歩むことができます。罪の中で死ぬのではなく、義の中に生きることができるのです。

「あなたはどこから来たのか」、「あなたはどこへ行くのか」、に続いて3つ目の問いがなされます。それは「あなたは誰ですか」(25節)という問いです。イエスは「それは初めから私があなたがたに話そうとしていることです。」と言われました。すなわち、イエスは世の光、救い主です。十字架に架かり、死から復活し、昇天する神の御子です。

「あなたは誰ですか?」と聞かれたらどう答えるでしょうか? もちろん自分の名前を言うこともできますが、それ以上に「私はイエス・キリストに属する者です。私は罪に定められることがなく、罪が赦された者です。私は闇の中を歩むのではなく、世の光です。」と答えることができるなら本当に幸いだと思います。

否定的な思い、否定的な告白と宣言は、間違った歪んだアイデンティティ(自画像)を作り上げてしまいます。そうならないために、この3つ(①私は神から来た。私は神に創造された。②私は神の元へ行く。私の国籍は天にある・③私は罪に定められることなく、罪が赦されている者。私は世の光。)を毎日、ぜひ告白、宣言してみてください。神に対して、サタンに対して、自分の霊に対してです。この告白と宣言は、私たちの霊を建て上げ、回復させ、引き上げ強めます。

この世は暗黒です。悪魔が支配しています。しかし、イエスは光です。闇を切り裂き、闇を取り除く光です。私たちは光であるイエスによって、闇から光へ移ることができます。すでに移されました。そして、世の光としての使命が与えられています。

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投稿者:canaan

首都圏で10年間牧師をしていましたが、現在は地方のキリスト教会で牧師をしています。旅行会社と農場の経営もしています。私自身が様々なことばで力づけられてきたので、希望に満ちたことばをお伝えしたいと願っています。I used to be a pastor in the metropolitan area for 10 years, but now I am a pastor at a local Christian church. Also I run a travel company and farm. I myself have been empowered by various words, so I would like to convey the hopeful words. 

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