歴史とはイデオロギーをめぐる争いであるから、その闘争が終わる時に歴史は終わる。(フランシス・フクヤマ著 「歴史の終わり」)
昨日でドイツ統一からちょうど30年です。世界で民主主義、自由主義、そして資本主義が拡大していくと思われました。私の大学生時代、マルクス経済学は時代遅れとされていました。しかし、今、共産主義国である中国の力が政治的にも経済的にも急速に台頭し、香港の政治に介入し、自由を脅かしています。30年前に人々が考えた理想の世界の姿とは違ったものになっていると言えます。
アメリカの政治学者フランシス・フクヤマ氏は、ドイツ統一の前年1989年に論文「歴史の終わり」で西洋の自由民主主義が、人類の統治の最終形態として普遍化することを宣言しました。その翌年、ドイツ統一が実現したので、フクヤマ氏の言葉通りであると多くの人々が考えたことでしょう。フクヤマ氏には非常に優れた先見性がありました。ドイツが統一された翌年1991年には共産主義のソ連が崩壊しました。1992年に出版された『歴史の終わり』は共産主義と自由民主主義のイデオロギー闘争が、自由民主主義の勝利によって終結し、イデオロギー闘争が終わることを主張した本です。
ベルリンの壁が崩れ、東欧の脱共産主義が始まり、ソ連が崩壊し、資本主義対共産主義の長年の闘いが終わりました。スターリニズムに代表される全体主義に、アメリカに代表される自由・民主主義が勝利しました。アメリカ対ソ連の冷戦が終わり,自由・民主主義・市場経済の敵が消え去った時代は,もはや理想に向かって進歩するという歴史が終わった時代です。世界は理想の最終形態になったはずでした。
しかし、21世紀に入り、アメリカでの同時多発テロ、リーマンショック、東日本大震災、気候変動、米中対立、コロナ、原発の核のゴミというように資本主義が絶対に正しいとは言えないような状況になっていると思います。資本主義を再考する必要があるのではないでしょうか。
資本主義は無限に経済成長を目指すシステムです。毎日、世界中で、大量生産、大量消費、大量廃棄が行われています。そして先(将来)のことを考えるよりも、とにかく目先のことを考えています。経済成長だけを追い求めることにより、目先は良い思いをするかもしれませんが、地球の環境に負荷がかかり環境が汚染され、気候が変動しています。日本で原発の事故が起こって取り返しのつかないことになっています。
日本政府はGDP(国内総生産)世界3位をキープしたいと思って、すべてのことを進めているのでしょう。でもそれが長い目で見て、国民を幸せにするかは分かりません。資本主義というシステムに無理がきていることを感じます。そうであるなら、私たちには長いスパンで見て、これ以上核のゴミを出さないためにも原発を完全にやめるなどして、次世代に負の遺産を残さないで、持続可能な社会を目指すという選択肢があると思います。
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