『神のかたち』 の回復 コロサイ人への手紙 1:15-17(聖書)

コロサイ教会に偽教師が入り込み、偽りが教えられるようになっていました。教会が異端的な教えによって混乱していたのです。そのような状況にあったコロサイ教会に使徒パウロは手紙を書きました。この箇所は、いきなりですが、コロサイ人への手紙の中でも最も大事なところになってくると思います。パウロのキリスト論(イエス・キリストとはどのようなお方か)が展開されています。パウロはコロサイ教会でイエス・キリストのことが間違って教えられていたので、正しい真実なキリスト論をここで明らかにしています。

15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。(コロサイ人への手紙 1:15-17)

コロサイ教会に入り込んだ教えの特徴は、哲学的なものでした。ある人々はシンプルな福音に満足できなくなったのでしょう。グノーシス主義と呼ばれるものです。グノーシスは、ギリシャ語で「認識・知識」を意味します。当時非常に流行していたもので、その特徴は二元論にありました。簡単に言えば、霊は良いもの、肉(物質)は悪いものという教えでした。

イエスが肉体を取ったならば(受肉されたならば)、イエスが神であるはずはない。なぜなら、肉は悪であるから。彼らはイエスは肉体を取らず、霊的な存在、幻であったと主張しました。現実的な人間であることを否定したのです。ですから、イエスが地面を歩いても、足跡はつかなかったというような説明をしています。霊的なふわふわした存在と見ているわけです。それに対してパウロはイエスは肉体を取られた神であることを強調しています(22節)。

一方で、コロサイ教会のある人々は、イエスのことを人間イエスとだけ見ています。単なる大工の息子と見る人もいたでしょう。それは現代も同じだと思います。しかし、イエスは人間イエスだけではない、確かに人間としてお生まれになりました。でも、イエスは神ご自身であられると使徒パウロは説明しているわけです。グノーシス派は知識による救いを説いていました。それに対し、パウロ(聖書)は、御子イエス・キリストによる罪の贖いと赦しを主張しました。

執筆中のパウロ

異端の教えの特徴は、イエスの神性(イエスが神であること)を否定することにあります。それは昔も今もそうです。そこでパウロはキリスト論を展開しています。

15節で、聖書は、御子イエス・キリストは、「見えない神のかたち」であると記しています。これはイエス・キリストは「見える神のあらわれ」ということです。神は目に見えません。ですから、人間は神のことがよく分かりません。イエスは人間として目に見える形でご自身を現わされたことによって、私たち人類に神とはどういう方かを明らかにしてくださいました。ヨハネの福音書1:18に いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。とあります。 「神を見せてください。」と頼むピリポに対して、「わたしを見た者は、父を見たのです。(ヨハネの福音書14:9)」とイエスはお答えになりました。

御子は見えない「神のかたち」、つまり神ご自身であり、人として現われた神なのです。神のかたちとは、神のお姿、神のご性質と言えます。へブル人への手紙1:3に  御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます、とあります。

15節に 御子は造られたすべてのものより先に生まれた方です とありますが、御子イエス・キリストは、万物より先に生まれた方、先におられた方です。御子は天地創造の前からおられました。万物は御子にあって造られました(16節)。ですから、御子は天地創造のみわざに関わっておられたのです。創世記1:1の記事はまさに御子によって実現したわけです。

ヨハネの福音書1:3には、すべてのものは、この方(イエス・キリスト)によって造られた。造られたもので、この方(イエス・キリスト)によらずにできたものは一つもない。と書かれています。イエスはあらゆる被造物よりも先に存在されたお方です(17節)。先に生まれた方という表現は、キリストが父なる神によって造られた被造物ということではありません。御子イエス・キリストはアルファであり、最初であり、第一のものである、という意味です。現在でもイエスを被造物にしようとする異端の教えがあるので気を付けなければなりません。

コロサイ教会では天使礼拝がされていましたが(2:18)、天使は被造物であり、「あなたがたを礼拝しているその天使たちをも創造されたのが、御子イエス・キリストで、イエス・キリストは創造主です」とパウロは書いています。

コロサイ書のこの部分がとても大切であると思うのは、「神のかたち」のオリジナル(原型)がここに見られるからです。すなわち、神の御子イエス・キリストは、天地創造の前から、もちろん存在されていましたが、どのように存在していたかと言うと、「神のかたち」として存在しておられたということです。キリストは三位一体の第2位格である神ご自身ですが、オリジナルな「神のかたち(姿)」であり、また「神のかたち(似姿)」として創造されようとしている人の原型であるということです。ここにイエス・キリストが永遠において、神であり、人であるということが見て取れると思います。

最初の人アダムが「神のかたち」として創造されました(創世記1:26,27)。 これは、オリジナルな「神のかたち」であられる御子イエス・キリストに似せて創造されたと言えます。ということは、アダムの子孫である私たちは、「神のかたち」であられる御子イエス・キリストのように生きる時にこそ、神が創造された本来の人間らしく生きることができているということになります。イエスを通して、私たちは神を見、神を知ると同時に、人間の本来あるべき姿をも見て知ることができます。

創世記1:26,27に、人間の本来の姿が示されています。「神のかたち」です。人は、アダムは、「神のかたち」として創造されました。神との良い健全な関係があり、いのちの息を吹き込まれて、いのちある存在として造られ、またエデンの園に置かれてこの地上を治め、神の栄光のために働く使命が与えられていました。それが罪によって破壊されてしまいました。「神のかたち」が壊れてしまったのです。神との関係が歪み、いのちを失って死ぬ存在になり、自分の栄光のために生きるようになりました。

「神のかたち」に創造された人間には,神との関係,他の人たちとの関係,そしてこの世界を治めるという働き、三つの関係において生きるように創造されました。どのような被造物も単独では存在し得ず,神及び相互との関係の中で生き,存在しています。人間には,自由と独立を与えられた人格として,対神,対人,対世界の関係を生きるようにという,責任と使命があります。しかし、人は神に反逆し、「神のかたち」に傷がつきました。罪によって「神のかたち」が壊れたので、神との関係が壊れ、人との関係が壊れ、社会生活も壊れてしまいました。それが現代社会を見ればよく分かります。

その時から神による回復のみわざが開始されました。そのクライマックスがイエスの十字架と復活です。人は神との関係が壊れ、断絶されていましたが、御子イエス・キリストによって、神との和解が与えられます。私たちはイエスによって罪と悪魔の支配から解放され(13節)、イエス・キリストの十字架と復活によって贖いと赦しが与えられました(14節)。

人は、本来、神を代表する者、神を現わすような存在として創造されました。しかし、罪によって、「神のかたち」が傷つき、損なわれてしまいました。神の願いは、私たちの「神のかたち」を回復させていくことにあります。聖書は救いを,本来の人間性の回復として語っています。初めに神が人を「神のかたち」に創造されましたが、救いとは「神のかたち」を回復する再創造のみわざであると言われています。聖書(Ⅱコリント5:17)は宣言します。だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

イエス・キリストの十字架と復活によって、「神のかたち」が回復されます。「神のかたち」の回復が更に完成へと向かうために必要となってくるのが、聖霊の働きです。聖霊によって私たちは「神のかたち」が更に回復され、キリストの似姿に変えられていきます。そして聖霊の働きによって、御霊の実を結ぶことができるようになっていきます。

私たちは、これからのクリスチャン生活、教会生活、人生を通して、「神のかたち」が更に回復され、神が望んでいる姿、かたちへとますます変えられていくことを願い、追い求めていきましょう。

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投稿者:canaan

首都圏で10年間牧師をしていましたが、現在は地方のキリスト教会で牧師をしています。旅行会社と農場の経営もしています。私自身が様々なことばで力づけられてきたので、希望に満ちたことばをお伝えしたいと願っています。I used to be a pastor in the metropolitan area for 10 years, but now I am a pastor at a local Christian church. Also I run a travel company and farm. I myself have been empowered by various words, so I would like to convey the hopeful words. 

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