コロサイ教会のための祈り コロサイ人への手紙 1:1-14(聖書)

エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモンへの手紙の4つは獄中書簡と呼ばれます。これらは牢獄の中から書かれた手紙です。福音を語ったために牢屋に入れられ苦難の中にあった使徒パウロが書きました。コロサイ人への手紙が書かれたのは紀元60年頃と言われています。パウロはコロサイの町で伝道をしたことがありませんでした。ではなぜ彼がコロサイにある教会に手紙を書いたのでしょうか。

コロサイの町は、エペソの東、現在のトルコの南西部に位置していました。パウロが第3回伝道旅行で、エペソで2年間伝道した時に、エペソをはじめ周辺地域の人々もイエス・キリストの福音を聞きました(使徒の働き19:10)。人々が救われ、彼らがそれぞれ自分たちの故郷に帰り、教会が始まったのだと思います。エパフラスはその一人で、彼が故郷であるコロサイに帰り、コロサイの教会が形成されていきました。

彼はコロサイだけではなく、ラオデキヤとヒエラポリスにも伝道し、教会の働きをしたようです(4:13)。この3つはそれぞれ10~20キロぐらいしか離れていませんでした。パウロはラオデキヤ教会にも手紙を送っていました(4:16)。それぞれに届いた手紙を交換して読むようにと書いています。兄弟姉妹教会となっていたのでしょう。黙示録3章に書かれていますが(14-22節)、その後ラオデキヤ教会はなまぬるい教会となってしまっていました。

ピリピ教会の問題は不一致と分裂で、ラオデキヤ教会の問題は燃えていないなまぬるさにありましたが、コロサイ教会にも問題がありました。コロサイ教会には偽教師が入り込んでいたことが問題でした。エパフラスはどのようにしたらよいかを相談するためにパウロの元へ行きました。しかし、エパフラスはローマで捕らえられてしまいました(ピレモンへの手紙23節)。ですから、使徒パウロは手紙を書き、テキコに手紙を持たせてコロサイ教会へ送りました(4:7)。

執筆中のパウロ

1 神のみこころによる、キリスト・イエスの使徒パウロ、および兄弟テモテから、2 コロサイにいる聖徒たちで、キリストにある忠実な兄弟たちへ。どうか、私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたの上にありますように。3 私たちは、いつもあなたがたのために祈り、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。4 それは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛のことを聞いたからです。5 それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。7 これはあなたがたが私たちと同じしもべである愛するエパフラスから学んだとおりのものです。彼は私たちに代わって仕えている忠実な、キリストの仕え人であって、8 私たちに、御霊によるあなたがたの愛を知らせてくれました。9 こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。10 また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。11 また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力を持って強くされて、忍耐と寛容を尽くし、12 また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。13 神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。14 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。(コロサイ人への手紙 1:1-14)

この手紙を書いたのはパウロでしたが、テモテをも執筆者に加えています(1節)。テモテがパウロといつも一緒にいて心を合わせ、協力して働いていたからだと思います。パウロは第一回伝道旅行でテモテを弟子とし、それ以来テモテはいつもパウロと共にいました。パウロによって諸教会に遣わされることもありました(ピリピ人への手紙 2:19)。この手紙を受け取ったのは、コロサイ教会の人たちでした(2節)。コロサイはラオデキヤとヒエラポリスと比べると小さな町で、教会もおそらく小さな教会だったと思われます。

コロサイ教会の置かれた状況は、私たちとは違います。時代が違い、場所が違います。けれども共通していることもあると思います。日本の諸教会にも異端の教えが入り込んでいるからです。もしパウロが私たちにも手紙を送ってくれるなら、「聖徒たち、キリストにある忠実な兄弟姉妹たちへ」ときっと呼んでくれることでしょう。それは私たちも主イエス・キリストによって聖なる者とされているからです。

パウロがエペソで語った福音はコロサイにも届いていました。彼はコロサイに行ったことはありませんでしたが、コロサイにも福音が伝えられ、それだけではなく、教会が形成されていたのです。パウロはそれを知ってどんなに喜んだことでしょうか(6節)。福音が世界に広がり、日本にも届き、私たちにも届きました。

福音とは、良きおとずれです。この世で聞くことができる最高のニュースです。私たちは暗やみの圧政(悪魔の支配)から神のご支配へ、御子イエス・キリストのご支配へと移されました(13節)。そして、イエス・キリストのうちにあって私たちは贖われています(14節)。奴隷状態(悪魔と罪の支配)から解放され、自由にされているということです。また主イエス・キリストによって、私たちの罪は赦されています。これが福音です。

コロサイの町にイエス・キリストの福音を届けたのは、エパフラスでした。エパフラスに福音を届けたのは、パウロでした。エパフラスが語っていること(その内容)に疑問を持つ人が出始めていたのでしょう。それはシンプルな福音でした。ギリシャ哲学を学んでいた人にとっては、単純すぎてつまずきになったのかもしれません。もっと複雑なことが知りたいと。それでエパフラスは悩んでいたのかもしれません。しかし、パウロはコロサイ教会に伝えます。エパフラスは私と同じ「忠実な、キリストの仕え人である(7節)、彼の語ることに耳を傾けなさい」と。私たちにも福音を伝えてくれた人、また教えてくれた人がいたはずです。本当に感謝です。私たちも他の人に福音を伝える務めが神から与えられています。

パウロはコロサイ教会のために感謝を捧げています。パウロはコロサイ教会に集っている人たちのために祈り、まず感謝していました(3節)。それは、彼らが持っていた信仰と愛、希望のゆえです(4,5節)。この3つを並べるのは、パウロ独特のものです。 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です(Ⅰコリント13:13)この3つはキリスト者生活の柱になるものと言えます。

イエス・キリストに対する信仰。罪の赦しを信じ、主イエスはきのうも今日もいつまでも変わらないと信じる信仰、見えるものではなく見えないものを信頼していく信仰です。そして隣人に対する愛です。神を愛し、隣人を愛すること以上に大切なことはないとイエスは教えられました。そして、希望、天に蓄えられている望みです。私たちはこの世に希望をおくのではありません。もしそうだとしたら、必ず失望することになるでしょう。私たちは天に目を向け、神に希望を置きます。神を信頼する者は、決して失望させられることがないからです。神に信頼するならば、倒れることがあるかもしれませんが、立ち上がることができます。希望があるということは本当に幸いなことだと思います。

そして、感謝に続いてパウロはコロサイ教会のために祈っています(9-12節)。この祈りは私たちが祈る時の参考になります。主に3つあります。

①神のみこころに関する真の知識に満たされるように(9節)

現代は情報が溢れています。多くの知識があり、もちろんその中に有益な情報もあります。しかし、最も大事なのは、神のご計画と御心を知ることだと思います。自分と家族、そして教会と仕事に対する神の御心は何か。神のご計画は聖書に記されているので、聖書を理解し、悟ることができるなら、真の知識を身に付けることになります。

②あらゆる善行のうちに実を結ぶように(10節)

神の御心とご計画を知った後、どうしたら良いのでしょうか。みことばを読んで聞いて知っているだけではなく、今度は自分自身に語られている主の言葉に応答して、実践していくことが大切です。小さな一歩を踏み出していく時に、それが主にかなった歩みになっていきます。そのような歩みが主に喜ばれます。そして、私たちは実を結んでいきたいです。伝道の実、御霊の実など。

③喜びをもって感謝を捧げることができるように(12節)

実を結ぼうとする中で、うまくいかないこと、思い通りにいかないことが起こってきます。その時に忍耐が必要になります。そのような時にこそ覚えたいことは、私たちは神の子供で、父なる神の相続人とされている、ということです。驚くべき豊かな祝福を神は私たちに与えてくださっています。だから、忍耐が必要なこともあると思いますが、私たちは主イエス・キリストにあって希望を待つことができ、そして主にあって喜び、神に感謝を捧げることができます。

私たちも使徒パウロのように、諸教会のためにとりなし祈る者でありたいと思います。

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投稿者:canaan

埼玉県で10年間&北海道で10年間牧師の働きをしました。現在は神奈川県の教会で協力牧師をしています。私自身が様々なことば(特に聖書のことば)で力づけられてきたので、希望に満ちたことばをお伝えしたいと願っています。I used to be a pastor in Saitama prefecture for 10 years and Hokkaido for 10 years. Now I am a cooperating pastor in Kanagawa prefecture. I myself have been empowered by various words(especially Bible ), so I would like to tell the hopeful words. 

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