私たちの敵である悪魔 エペソ人への手紙 6:10-13(聖書)

今回はクリスチャンとして戦うことについて見ていきます。教会には、「キリストの花嫁」、「神の宮」、「神の家族」、「キリストのからだ」など様々な呼び方がありますが、教会は「神の軍隊」でもあります。軍隊と言うと、ロシアとウクライナの戦争を思い浮かべると思いますが、もちろん戦争を勧めているわけではありませんし、人間が敵なのでもありません。12節a私たちの格闘は血肉に対するものではない、つまり人間に対するものではないということです。そうではなく、12節b悪霊に対するものです。聖書を見ましょう。

10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。

11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

(エペソ人への手紙 6:10-13)

もし今、私たちが霊的戦いの真っ只中にあるという感覚がないなら、それはすでに悪魔と悪霊に騙されていることになります。なぜなら実際、悪魔は働いているからです。悪魔の目的ははっきりしています。人を騙し、人を破滅させ、人を地獄へ連れて行くことです。神の目的もはっきりしています。人を救い、永遠のいのちを与え、人を天国へ連れていくことです。人の魂を巡って、人の永遠の運命をかけて、神と悪魔が戦っています。そのような霊的戦いの働きに召され、神の働きに協力するのが、教会であり、クリスチャンたちです。

執筆中のパウロ

使徒パウロは悪魔の力をよく理解していました。だからこそ、パウロはエペソ教会の皆さんに伝えます。主にあって、その大能の力によって強められなさい(10節)。

主イエスは「敵である悪魔」のことを本当に理解されていました。福音書を見れば分かりますが、イエスの働きの3本柱は、①福音を伝え教えること、②病を癒すこと、そして③悪霊を追い出すことでした。イエスは救い主であり、イエスは癒し主です。そしてイエスは悪魔に打ち勝つ勝利者です。もし現代の教会が悪魔に注意を向けないなら、それはすでに悪魔に騙されていることになります。

映画にもなりましたが、「ナルニア国物語」の著者としても有名なC.S.ルイスが「悪魔の手紙」という本を書いています。これは先輩の悪魔が後輩の悪魔にどのようにしたら人間を騙せるかアドバイスする形を取っている本です。その中でこのように書かれています。

悪魔に関して人間は二つの誤謬に陥る可能性がある。その二つは逆方向だが、同じように誤りである。すなわち、その一つは悪魔の存在を信じないことであり、他はこれを信じて、過度の、そして不健康な興味を覚えることである。悪魔どもはこの二つを同じくらい喜ぶ。

C.S.ルイス(1898-1963年)

悪魔の策略とは何でしょうか(11節)?人は2つの方向で騙される傾向にあるとCSルイスは指摘しています。

一つは悪魔の存在を信じないこと、悪魔の存在を無視することです。霊の世界を無視し、見えるものにしか関心を持たない、物質主義です。

もう一つは悪魔に過度に関心を持つこと。すなわち、スピリチュアリズムです。

悪魔は存在しないのでしょうか?聖書は悪魔と悪霊の存在を抜きにしては理解できない書物です。創世記3章でアダムとエバが罪を犯しますが、その時に人間を誘惑したのは蛇(悪魔)でした。この悪魔は誰か?悪魔は初めからいたのか?神は悪魔を創造しませんでした。神が創造したのは、天使たちだけでした。しかし、一人の天使が、自分の素晴らしさと美しさに酔ったのでしょう。高慢になり、神のようになろうとしました。神の上に行こうとしたのです。神に創られた被造物に過ぎない天使が神のようになろうとし、神に反逆しました。

神陣営と悪魔陣営が戦うことになりましたが、この戦いにおいて、三分の一の天使がルシファー(悪魔)に従いました。このルシファーと戦ったのは、神でしょうか。違います。天使ミカエルです。よく神と悪魔の戦いと言いますが、神は悪魔の敵ではありません。天使に対しては天使で充分なのです。ミカエルがルシファーに対峙し、ルシファーを打ち破り、ルシファー(悪魔)に従った天使たちは堕天使、聖書に出てくる悪霊になったのです。三分の二は神に従った良い天使たちで、聖書にも登場します。この世界には悪霊の2倍の数の天使がいることになります。

「悪魔を倒すミカエル」/ラファエロ

現代において、神のようになる、という思想がもてはやされていますが、それは非常に悪魔的です。本当に気を付けなければなりません。この時代において大切なのは、霊的な洞察力です。クリスチャンでも悪魔と悪霊に足場を与えてしまうならば、悪い影響を受けてしまう危険性があるからです。

イエス・キリストがこの地上に来られた目的は何でしょうか?罪の贖い。もちろんそうです。でもそれだけではありません。神の御子である主イエスがこの地上に来られたのは、悪魔のわざを打ち砕くためです。神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです(Ⅰヨハネ 3:8)。

使徒パウロは世界各地で伝道をしましたが、最も力強い働きをしたのが、エペソの町でした。エペソは今のトルコです。そのことが使徒の働き19:11-20に書かれています。紀元53-57年頃のことです。

エペソの町は、魔術とオカルトが盛んな町でした。パウロはそこでイエス・キリストの福音を語り、病を癒し、そして悪霊を追い出しました。これは悪魔・悪霊との霊的な戦いだったのです。霊的な戦いを通して、パウロは福音宣教の働きにおいてエペソの町で最大の成果を得ました。エペソ人への手紙が書かれたのが61年頃ですから、このエペソで伝道した数年後、6,7年後くらいでしょうか、この手紙を書いたわけです。

日本では、悪魔の働き、悪霊の現象があまり表に出て来ていません。なぜでしょうか?それは光が当たっていないからだと私は思っています。悪霊どもが闇に隠れていることができるからです。しかし、イエス・キリストの福音が光輝き、聖霊が力強く働かれると、悪霊が闇に隠れていることができなくなり、表に出てきます。

日本で顕著な悪霊現象はあまり起こっていないと思います。でも海外宣教に行くと、悪霊現象がよく起こります。それはなぜか?聖霊が力強く働かれているからです。

私はアブラハムというインド人の牧師に招かれてインドに10日間の宣教旅行へ行ったことがあります。毎日集会を持ったのですが、ある集会で、私が通訳者のアブラハムと一緒に会場(教会)に着くと、賛美が始まっていました。そして、そこに奇妙な光景を見ました。それは一人の女性が髪の毛を振り乱していたのです。賛美の間中、そうしていました。賛美が終わり、私は十字架のメッセージをしました。説教の間、その女性はぐったりとしていました。

救いの招きをすると、確か10人ぐらいだったと思いますが、前に出てきて、イエスを救い主として信じました。彼らはほとんどがヒンズー教徒でしたが、主イエスを信じたのです。一緒に信仰を告白し、救いの祈りをしました。その後、病の癒しのために祈りました。今でもはっきりと覚えていますが、耳の聞こえない人の耳が癒されました。神の奇跡が起きていたので、集会が凄い熱気で溢れてきました。聖霊が力強く働かれていたのです。

そして、次に私の前にあの女性が私の元に連れて来られました。彼女は暴れていたので、3-4人の男性が押さえないといけないほどでした。彼女は悪霊に憑かれていたのです。彼女は男の声を出していました。彼女から出て行かないという意思を表示したのです。私はイエス・キリストの名前によって命じました。「彼女から出て行け」と。10-15分くらいでしょうか。祈り続けました。すると、彼女から悪霊が出て行ったのが分かりました。彼女は正気に戻ったのです。顔の表情が変わりました。女性の声になっていました。

皆喜んでいましたが、誰よりも喜んでいたのは彼女の両親でした。10年間悪霊に憑かれていたと言っていました。普通にヒンズー教を信じているくらいなら悪霊の影響はそれほど強くありませんが、ヒンズー教の魔術に強く深く関わると、悪霊に足場を与えてしまいます。そのせいで彼女は悪霊に支配されていたのだと思います。私は彼女に聞きました。「誰があなたを自由にし解放してくださいましたか?」私は言いました。「イエス様ですよね。イエス・キリストです。」すると、彼女はうなずきました。そして私はもう一度質問しました。「あなたはイエス様を救い主として信じますか?」「はい、信じます」と彼女は告白したのです。これがインドで起こったことです。そして現在進行形で起こっていることです。

悪魔の目的は、偶像礼拝、魔術、占い、風水などを通して、人を束縛することです。それらに深くのめり込んでいくならば、悪霊の影響を必ず受けます。本当に心を明け渡すと、悪霊に憑かれてしまいます。それは医師では治せません。精神科医でも治せません。なぜなら、それは心の問題、精神の問題ではなく、霊的な問題だからです。この霊的な問題を解決できるのは、イエス・キリストだけです。この領域はまだ日本では開かれていませんが、次第に開かれていくと思っています。私たちはその準備をしなければなりません。霊的な問題を抱えた人が教会に来ても、霊的な力がないなら、解決の道を提供することができません。

日本人は今、聖霊の働きである健全なスピリチュアリズムはなく、悪霊の働きである間違ったスピリチュアリズム、パワースポットなどもそうですが、それらに関心を持っています。でも、日本でも世界の各地で起こっているように、これから教会に霊的な問題を持った人が来た時に、私たちがイエス・キリストのお名前で祈ることによって、悪霊に苦しめられている人たちが自由にされ解放されていく日がくることを信じています。そして、日本人が真に力があるお方はイエス・キリストであることを知ることができるようにと願っています。

その準備のために、私たちはまず悪魔の存在、悪魔の策略を知らなければいけません。そして、神の力によって、聖霊の力によって、強められていなければなりません。また神の武具を身に着けなければいけません。それについては次回の投稿でお話します。

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投稿者:canaan

埼玉県で10年間&北海道で10年間牧師の働きをしました。現在は神奈川県の教会で協力牧師をしています。私自身が様々なことば(特に聖書のことば)で力づけられてきたので、希望に満ちたことばをお伝えしたいと願っています。I used to be a pastor in Saitama prefecture for 10 years and Hokkaido for 10 years. Now I am a cooperating pastor in Kanagawa prefecture. I myself have been empowered by various words(especially Bible ), so I would like to tell the hopeful words. 

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