さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた(ルカの福音書2章8,9節)
今は全世界で盛大にお祝いされているクリスマスですが、世界で最初のクリスマスはひっそりとお祝いされました。そのお祝いに参加したのは、羊飼いたちだけでした。羊飼いたちは野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていました。(ルカの福音書2章8節)。夜で暗かったでしょう。この当時羊飼いは貧しい職業だったようです。ですから彼らの人生も暗いものでした。
そこに神から遣わされた天使が羊飼いたちの所へやって来ました。主の栄光、まばゆいばかりの光が照らしました(ルカの福音書2章9節)。まさに光が闇を取り去ったのです。天使は彼らにメッセージを伝えます。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2章10,11節)
『羊飼いへの告知』/ ゴバート・フリンク ルーブル美術館 1639年
天使の話を聞いた羊飼いたちは話し合った後に言いました。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」(ルカ2章15節)
羊飼いたちには聖書&歴史の知識があったようです。ダビデの町とは、イスラエルの黄金時代を築いたダビデ王が生まれた町のことで、ベツレヘムのことだったのです。そしてそのような知識だけではなく、彼らには知識を素早く生かす実行力がありました。ベツレヘムは大きな町ではありませんが、この時は人口調査があり、町はごった返していました(ルカ2章1~7節)。そのような中で生まれたばかりの赤ちゃんを捜し出すことは簡単ではなかったはずです。
現代は多くの情報でごった返しています。その中で正しい情報を見つけることは決して簡単なことではありません。気を付けないと惑わされます。現代に最も必要な力の一つは、今世界で何が起こっているかを見極める洞察力だと思います。
真実を熱心に捜し求めることが大切です。羊飼いたちは途中で捜すのをあきらめてしまったら、彼らは救い主に会うことができなかったでしょう。彼らには捜す上でのヒントが天使から与えられていました。それは、「あなたがたは、布にくるまって飼い葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」という言葉でした。(ルカ2章12節)
羊飼いたちは神から遣わされた天使からの言葉、すなわち神の言葉を勝手に解釈することはしませんでした。「救い主が飼い葉おけに生まれるということがあり得るだろうか、そんなバカな」と考える可能性があったと思います。また、「救い主であるなら王宮で生まれるだろう、もしくは素晴らしい一流のホテルで生まれるだろう」と考えてもおかしくはありませんでした。しかし、彼らは救い主に自分たちの理想像を当てはめるのではなく、あくまで天使の言葉を信頼して捜したのです。そしてついに、イエスの母であるマリヤと父であるヨセフと、飼い葉おけに寝ておられるみどりごイエスを捜し当てることができました(ルカ2章16節)。
『羊飼いの礼拝』/ ルーベンス フェルモの市民美術館(イタリア) 1607年
私たちも全てのことが理解できなくても、あきらめないで熱心に捜し続けることが大切です。そうすれば、イエスを見つけることができるはずです。そして、神の言葉である聖書を信頼するなら、イエスにたどり着くことができます。
羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部天使の話の通りだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行きました(ルカ2章20節)。羊飼いたちはどんなに喜びで満たされたことでしょうか。神の言葉の真実さを体験することができました。そして救い主イエスにお会いし、世界で最初のクリスマスをお祝いするという特権にあずかることができました。彼らは帰った後も、貧しい生活は続いたと思います。けれども苦しい中でも希望を持って生きていったはずです。救い主イエスに出会うことができたからです。人生が闇から光に移されたのです。
たとえ世の中が暗くても、また様々な悩みや困難に直面して私たちの心が暗くても、今も天から光が照られています。イエスは光です。救い主イエスを通して、私たちは闇から光へ移ることができます! イエスをお迎えするなら私たちの心が明るくなり、人生も輝いていくと信じています。
この方(イエス)にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった(ヨハネの福音書1章4,5節)。
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