カインとアベル

アダムとエバは、サタンの誘惑に負け、神に反逆して罪を犯した結果、エデンの園から追放されてしまいました(創世記3章)。その後、彼らに子供が与えられました。聖書にはこのように記されています。

1 人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た」と言った。2 彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。(創世記4:1,2)

エデンの園を追放されたアダムとエバは、子供が与えられたことによって、大きな慰めを得ることができました。ソロモンは歌いました。見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である(詩篇127:3)。神は「生めよ、ふえよ。地を満たせ。」(創世記1:28)と仰いましたが、その実現の第一歩がスタートしたのです。

どのような働きでも最初は小さいものです。人類は最初、アダムとエバしかいませんでしたが、カインが与えられ、アベルが与えられたのです。そして人類は増え広がり、今に至っています。キリスト教会もそうです。最初は120人の弟子しかいなかったのです(使徒の働き1:15)。しかし、今は億単位でクリスチャンがいます。あなたの始めは小さくても、その終わりははなはだ大きくなる(ヨブ記8:7)。ヤベツは祈りました。「私の地境を広げてくださいますように。」(Ⅰ歴代誌4:10)

親は自分の子供に期待するものです。だから親の理想や願いがその子供の名前にあらわれます。カインには「得た」という意味があります。つまり、神が語った「女の子孫がサタンの頭を踏み砕く」(創世記3:15)という約束のみことばを信じ、この子がそれをなすようにと期待したのだと思います。このみことばはイエス・キリストを通して成就しました。神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです(Ⅰヨハネ3:8)。

次に生まれたのはアベルでした。アベルには「呼吸」という意味があります。つまり息をするということです。アダムは土地のちりで形造られ、その鼻にいのちの息を吹き込まれて、生きた者となりました(創世記2:7)。それが罪によって破壊され、死んだ者となってしまいました(創世記2:17,3:19)。その回復を願ってアダムとエバは、次男にアベルと名前をつけたのではないでしょうか。もちろん、罪の贖いはイエス・キリストの十字架を待たなければなりませんでした。罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです(ローマ人への手紙6:23)。

やがて子供たちは成長し、アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となりました。衣食住は生活の三要素です。アベルは衣服(衣)とテント(住)のために羊毛を、カインは食糧(食)を生産しました。それは生活のための分業であり、協力でした。それは家庭においても教会においても職場においても同じことが言えると思います。それぞれの役割があります。そこに優劣があるわけではありません。一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです(ローマ人への手紙12:4,5)。

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投稿者:canaan

埼玉県で10年間&北海道で10年間牧師の働きをしました。現在は神奈川県の教会で協力牧師をしています。私自身が様々なことば(特に聖書のことば)で力づけられてきたので、希望に満ちたことばをお伝えしたいと願っています。I used to be a pastor in Saitama prefecture for 10 years and Hokkaido for 10 years. Now I am a cooperating pastor in Kanagawa prefecture. I myself have been empowered by various words(especially Bible ), so I would like to tell the hopeful words. 

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