絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪いのである。(「ペスト」 アルベール・カミュ著)
「ペスト」(感染症)に対して人はどのように振舞うのかというのが物語のテーマです。コロナウィルスが全世界で蔓延している今にふさわしい本ではないでしょうか。著者のカミュは不条理の哲学で有名です。ノーベル文学賞をとった人でもあります。今年も村上春樹氏がノーベル賞を取れなくて残念でした。この作品は1947年に出版されたもので、実はナチスに対する反抗と連帯を描いたようです。
最初、町でネズミの死骸が発見されるようになります。その数が膨大になって町の大ニュースになり、いったい私たちの町で何が起こっているんだろうか、というように物語がはじまります。出だしで一気に物語の中へ引き込まれていきます。そして今度はネズミではなく、人が突然死ぬようになっていきます。その数がどんどん増えていき、これはペストであるということに主人公たちが気付くわけですが、まわりでは多くの人たちがその事実を認めようとしません。認めたがりません。カミュが描いている官僚の姿と日本の政治家のコロナ対応がほとんど同じで驚きます。
でもついに認めないわけにはいかなくなり、非常事態宣言が出され、町が封鎖されます。交通機関が完全にストップし、町への人の出入りが禁止されます。物語はペストで苦しむ10か月間を描いています。ペストが蔓延し、死者が日々急増していく中で子供も死ぬようになります。その絶望的な状況の中で人々が絶望に慣れていきます。あきらめていくのです。そのことをカミュは見事に描いています。ですから絶望することによって神を求めるならいいのですが、絶望状態が続き、絶望しすぎると人はその絶望に慣れてしまって神の助けを求めなくなる可能性(危険性)があるということを感じました。
登場人物の一人にパヌルー神父がいますが、カミュは「不条理下における信仰」を描いています。これが本書の中心テーマでしょう。全く罪のない子供が苦しんで死んでしまうことに対し、キリスト教信者はどう立ち向うかという題材です。
罪なき子の死に直面した神父パヌルーは動揺します。医師リウーは、「罪なき子どもが死ぬような世界を自分は愛せない。私はそれと闘い続ける」と宣言します。これは、ドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』で無神論者であるイワンが発したのと変わらない宣言です。「カラマーゾフの兄弟」は世界文学史上で最高傑作と評されています。村上春樹氏が『世の中には二種類の人間がいる。カラマーゾフの兄弟を読破したことのある人と読破したことのない人だ』と述べていました。それほど重要な文学作品であるということです。
「人は神という存在なしに倫理を貫き、人間の尊厳を守り続けることができるのか?」という極限的な問いが突きつけられています。ドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」で無神論者イワンに「神がいなければ、すべてが許される。」と言わせました。もし神がいなければ、どんな罪も許されるということです。なぜなら、善悪を判断する神がいないのであれば、「善」という概念が存在しません。善に相対する「悪」も存在しません。だから全ては許されるはずであるということです。人殺しもです。神の不在がいかに恐ろしく、いかに混沌とした世界を生み出すかをドストエフスキーは鋭く指摘しています。
これは神学的な命題です。聖書の創世記3章でアダムとエバは神のようになりたいと思って神の命令に反抗して「善悪の知識の木」から実を取って食べました。それ以来、人類は神を否定し、自分たちで善悪を判断するようになったのです。
作家のカミュ自身は神を信じていません。彼は主人公の医者リウーに自分の考えを言わせていると思いますが、不条理の中で神を信じるのではなく、人間として自分ができることをやっていく、主人公の場合は医者ですから目の前の患者を診ていく。一人でペストに立ち向かえないならば連帯していく。これが彼の思想です。医師リウーは、もし自分が全能の神を信じていたら、人々を治療するのをやめて、人間の面倒をすべて神に任せてしまうだろう、と言います。ここでリウーは、神ではなく人間の側に立つために、無神論を選択しています。カミュは信仰者であるパヌルー神父の立場を変えていますが、不条理の中で神を信じることの大切さを否定しているのだと思います。
それに対してドストエフスキーは、主人公のアリョーシャの立ち位置をずっと変えません。アリョーシャは無神論者の兄イワンとは違う立場を取っています。弟で神学生のアリョーシャは不条理の世界でも有神論を選び続けます。神はいると信じるのです。これがドストエフスキーの立場でもあると思います。
コロナウィルスという不条理に思えることが現在進行形で起こっています。「カラマーゾフの兄弟」では無神論者イワンに強い影響を受けた主人公の一人であるスメルジャコフが絶望して自殺してしまいます。絶望に慣れることがありませんように。絶望して自殺しませんように。絶望にご注意。
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