「私たちの心は、あなた(イエス)の中に憩うまでは安らぎが得られません。」(「告白」 アウグスティヌス著)
この文章は、古代最大の神学者と言われるアウグスティヌスの言葉です。
人間の心には渇きがあります。人間はその渇きを満たそうとしますが、この世の様々なものはわたしたちの渇きを満たしてくれないばかりか、かえって一層の渇きを加えます。
ドイツの哲学者ショーペンハウアーは「富は海の水に似ている。それを飲めば飲むほど、喉が渇いてくる」と言いました。
お酒を飲む人は飲めば飲むほど飲みたくなるものです。快楽にふければ、更に快楽にふけるようになります。地位が高ければもっと高くなりたいし、事業が大きければますます大きくしたいし、金銭を多く持つ人はもっと多く欲しいと思うものです。この世が与えるものは、渇きを深め、なおー層の不満を感じさせるばかりで、渇きを解決してくれません。
独身の人は結婚すれば渇きが満たされると思いますが、結婚して幸せを手に入れても、心の渇きは満たされないでしょう。では子供が与えられたら満たされるのではないかと思います。しかし、子供が与えられることは素晴らしい祝福ですが、心の渇きは満たされないでしょう。良い職についたら、金持ちになったら、有名人になったら、心の渇きが満たされるのかと言えば、決してそうではないでしょう。
ではどのようにすれば、心の渇きは癒され、満たされるのでしょうか?
アウグスティヌス(354年-430年)
上記の文章を書いたアウグスティヌスは青年時代、放蕩の限りを尽くし、享楽にふけりました。しかし、彼の心が満たされることはありませんでした。むなしさと苦悩でいっぱいになり、人生に絶望していました。でも31歳の時に人生の転機が訪れました。
彼は聖書を読んだのです。その聖書の言葉が彼に希望と平安を与えました。その言葉は、ローマ人への手紙13章13、14節です。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。
スポンサーリンク