エペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙の4つは獄中書簡と呼ばれます。これらは牢獄の中から書かれた手紙です。牢屋に入れられ苦難の中にあった使徒パウロが書きました。今、私たちはコロナ禍にあっていろいろな面で苦しいですが、この獄中書簡から学べること、また神からのメッセージがあると思います。手紙を書いたパウロだけでなく、宛先のピリピ教会にも苦難がありました。パウロもピリピ教会も、両方とも大変な状況にありましたが、この手紙の特徴は「喜び」にあります。ピリピ人への手紙は、「喜びの手紙」と呼ばれています。
1 キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、また監督と執事たちへ。2 どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。3 私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、4 あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、5 あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。6 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。7 私があなたがたすべてについてこのように考えるのは正しいことです。あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人々であり、私は、そのようなあなたがたを、心に覚えているからです。8 私が、キリスト・イエスの愛をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、そのあかしをしてくださるのは神です。(ピリピ人への手紙 1:1-8)
ピリピ教会は、使徒パウロが第2回伝道旅行で、イエス・キリストの福音を宣べ伝た時にできた教会です。ヨーロッパで最初の教会になります。紀元52年頃と思われます。ピリピの町はギリシャのマケドニア地方にあった大きな都市でした。エーゲ海の東、アジアとヨーロッパの接点にある地理的に重要な場所でした。このピリピの町はアレクサンダー大王の父親であるフィリッポス王によって紀元前368年に築かれました。フィリッポスの名にちなんでピリピと名づけられたわけです。
ピリピでの伝道は使徒の働き16章に出てきます。ルデヤという女性がパウロが語ることに心を開き、パウロが宣べ伝えたイエス・キリストを信じました。彼女だけでなく、彼女の家族もイエスを信じ、洗礼を受けました。その後、占いの霊につかれた女の人がいましたが、パウロがイエス・キリストの御名によって出て行くように祈ると、彼女は悪霊から解放され自由になりました。しかし、彼女の占いでもうけていた人たちの反感を買い、パウロとシラスは牢獄に入れられてしまいました。しかし、真夜中頃、彼らが祈りつつ賛美の歌を歌っていると、突然、大地震が起こりました。その地震によって、牢のとびらが全部空いて、皆の鎖がはずれてしまったのです。目を覚ました看守は、牢のとびらが空いているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、これは大変なことになったと剣を抜いて自殺しようとします。しかし、パウロは「自害してはいけない。私たちは皆ここにいる」と言って彼の自殺を止めました。
看守は心動かれて「先生方、救われるためには、何をしなければなりませんか」と二人に聞きます。これは新約聖書でも有名なみことばの一つですが、パウロとシラスは「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」(使徒の働き16:31)と答えます。彼と彼の家族全員がイエスを信じて洗礼を受けました。そのようにしてピリピ教会が誕生します。そのことが使徒の働き16章に記されています。ですから、パウロの手紙を見る時には、使徒の働きがとても大事な参考資料になってきます。
パウロはピリピの町を去って、また伝道旅行へ出発しましたが、パウロとピリピ教会の交流は続きました。パウロはその後、何回かピリピ教会を訪れています。このピリピ人への手紙はこの時から約10年後の紀元61,62年頃、諸説ありますが、ローマの牢獄から書かれたと言われています。彼が牢獄に入ったことにより、多くの人々がパウロから離れて行きましたが、変わらずにパウロを愛し、彼のために祈り、そして実際的に献金を送ってサポートしたのがピリピ教会でした。
使徒パウロは世界各地を伝道しながら、あちこちに教会を開拓していきました。パウロに心配をかける教会が多かったですが、ピリピ教会は逆にパウロを励ます教会でした。
パウロが投獄されたという牢獄跡
今日の箇所を見ていきましょう。
パウロは執筆者に自分以外に同労者テモテの名前を記しています(1節)。使徒の働き16章を読むと、テモテとルカもパウロ・シラスと一緒に伝道旅行をしていたのが分かります。テモテはパウロのピリピ伝道に協力し、ピリピ教会の皆さんからよく知られている人物でした。手紙を受け取ったのはピリピ教会の聖徒たちでした。これは人間的な聖人ということではありません。ピリピ教会の人たち、そして私たちも罪人ですが、神の一方的な恵みと憐れみによって聖とされています。聖徒とは、ですから人間的な意味で聖く正しい人ということではなく、イエス・キリストを信じることによって罪が赦されて神の前に聖なる者とされているということです。パウロたちとピリピ教会を結びつけていたものはキリスト・イエスです(1節)。両者をつなげていたのは、救い主イエス様で、人間的な親密さ・絆を超えたところにありました。
パウロはピリピ教会のために祈っています。どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように(2節)。 ピリピ教会の人たちも迫害などがあり、不安だったでしょう。現代も不安の時代ですが、平安があるようにと、平和が訪れますようにと、大祭司であるイエスが天で祈っていてくださっていますし、いろいろな人たちが私たちのために祈ってくださっています。
私たちはかつて罪人で神と敵対する者でしたが、今は罪を悔い改めて、赦しを受け取り、神と和解して神との平和が与えられています。自分の心に神の平安が与えられています。それだけではなく、私たちは平和を作る者として召され選ばれています。私たちが信じる神は、ヤハウェ・シャローム(平和の主)です。この平安はイエス・キリストを通して与えられる平安です。
パウロは3節で「私の神」に感謝し、と書いています。これが重要です。神という存在が「私の神」、「自分個人の神」であるということです。世界の神、日本の神、教会の神、家族の神、私たちの神という表現も大切ですが、やはり神が自分自身の神、「私の神」であるという信仰が大切になってきます。
パウロは開拓した諸教会のために祈っていましたが、ピリピ教会のためにも祈っていました。パウロはどのように祈ったのでしょうか。彼は感謝と喜びを持って祈りました(3,4節)。私たちは祈られていますし、また祈ってもいます。私たちを結びつけているもの、一つにしているのは、人間の絆以上のものです。それはイエス・キリストです。だから、私たちもパウロ同様、神に感謝を捧げ、人々にも感謝します。
ルデアのことを記念した礼拝堂
パウロはピリピ教会の過去・現在、そして未来に目を向けています。あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています(5節)。パウロたちがピリピの町に伝道に入り、彼らと出会い、ピリピ教会が誕生してから今日まで、彼らは忠実にパウロたちの働きを現在に至るまで、継続してくれていることにパウロは感謝を捧げています。パウロは過去を振り返り感謝を捧げ、現在を見る時に感謝しています。
ピリピ教会はパウロの働きに最初からずっと協力していました。経済的にも助けていました。良い働き(福音伝道の働き、救いの働き)を始められた方(イエス・キリスト)は、この働きをキリスト・イエスの日が来るまでに、すなわち、終末(世の終わり)には完成させてくださるとパウロは信じ、確信していたのです。あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです(6節)。
私たちもパウロのように、自分の信仰について、教会の働きについて、堅く信じ、確信することができます。なぜなら、これは人が始めた働きではないからです。神ご自身が始められた働きだからです。イエスは信仰の創始者であり完成者です(へブル人への手紙12:2)。私たちはイエスを信じた時に信仰生活&教会生活が始まりましたが、今は発展途上で、ついには完成します。私たちは神の恵みによって救われ、神の恵みによって教会・礼拝・バイブルスタディーに導かれています。私たちはこれからも神の恵みによって信仰生活を続けることができ、最後には恵みによって完成へと導かれます。だからパウロは恵みがあなたがたの上にありますようにと祈ったわけです(2節)。この地上には神から引き離さそうとする力が働いています。悪魔の働き、様々な誘惑、困難、自分のうちにある欲望などです。神の恵みによらなければ私たちは誰一人として最後までこの信仰のレースを完走することはできないでしょう。
ルデア川。ヨーロッパで最初に洗礼を受けたのが、ルデアでした。今でもこの川では洗礼式や礼拝などが行われているようです。
ピリピ教会はどんな時もパウロの味方でいました。パウロが獄中にいる時にも助けました。祈りと献金によってパウロの働きを支えました。私たちも祈りと献金によって神の働きに、教会の働きに協力し貢献することができ、恵みにあずかることができます。共に協力して宣教の働きをすると霊的な絆が生まれてきます。ピリピ教会はパウロと共に恵みにあずかった人々=教会共同体でした。あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人々であり、(7節)。うまくいっている時に一緒にいる人よりも、むしろ苦しい時に一緒にいる人が真の友であると言えるでしょう。パウロが苦しい時にもピリピ教会はパウロの側に立ち続けました。ピリピ教会の人たちはパウロの真の友であったのです。ですからパウロが受ける恵みと祝福をピリピ教会の人たちも受けることができました。
ここに福音に堅く立つ教会、共同体の姿があります。教会とはエクレシア、この世から召し出された者たちの集まりです。私たちには様々な違いがありますが、一つの共通点があります。それを恵みを体験した人々であるということです。それは救いの恵みであり、福音宣教の働きに参加するという恵みです。ピリピ教会は、励ます教会、助ける教会、捧げる教会、福音宣教に献身する教会、神に喜ばれる教会でした。私たちもそのような教会、そして一人ひとりでありましょう。2022年、良い働きをしていくことができるように感謝と喜びを持って祈りつつ、一歩一歩前進していきましょう。そして神と人々に感謝して歩んでいきましょう。
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