神は罪を犯した蛇(悪魔)とアダム、エバにそれぞれ裁きの言葉を仰せられました。まず悪魔に語りました。聖書にはこのように書かれています。
14 神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。15 わたしは、おまえと女との間に、また、お前の子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、お前の頭を砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」(創世記3章14,15節)
原福音と呼ばれます。イエスは女の子孫として生まれることが預言されています。女はエバのことで、イエスはエバの子孫として生まれること、すなわち人の子として生まれることがここで神によって宣言されているのです。これはクリスマスにおいて成就しました。
原福音は最初の福音(良き知らせ)で、救い主イエスの十字架と復活が暗示されています。悪魔はイエスを十字架に架けることによってダメージを与え、イエスのかかとにかみつきましたが、イエスは十字架と復活を通して、悪魔の頭を踏み砕きました。神の子(イエス・キリスト)が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです(ヨハネの手紙第一3章8節)。
天使ミカエルが悪魔に勝利している絵画です。
蛇は頭を砕かれても、しばらくは生きながらえています。パプアニューギニアに宣教旅行へ行った時に、食べられるために頭をもぎ取られた鶏がしばらくバタバタと動き回って生きていたのを思い出します。でもしばらく苦しんで走り回った後、力尽きて死んでしまいました。悪魔の死も同じようなもので、もはや時間の問題です。そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける(黙示録20章10節)。悪魔の運命は決まっています。彼の敗北は確定しているのです。悪魔は今、バタバタと苦しみながら走り回っているだけです。
イエスは悪魔を現実の存在として認識し、悪魔を憎みました。なぜでしょうか。それは悪魔が人間を滅ぼし、自分と同じ運命である火の池(地獄)へ道連れにして連れて行こうと一生懸命働いているからです。いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた(黙示録20章15節)。イエスを信じる者は、いのちの書に名が書き記されます。
私たちもイエスと同じように悪魔を憎む者でありたいと思います。イエスは言われました。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがた名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」(ルカの福音書10章18-20節)
悪霊を追い出す権威は、福音宣教に伴うしるしとしてキリスト者に与えられています。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」(マルコの福音書16章15-18節)
平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます(ローマ人への手紙16章20節)。これは終末の時代、すなわち現代の教会が体験することであると信じています。私たちの足がサタン(悪魔)を踏み砕くのです。
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