悪魔ははじめから存在したのでしょうか。神が悪魔を創造されたのでしょうか。イギリスの作家ミルトンは大長編叙事詩「失楽園」で悪魔の反逆、悪魔の堕落、悪魔の復讐、人間の堕落を見事に描いています。同じイギリスの作家C.S.ルイスはこのように書いています。「悪魔に関して人間は二つの誤謬に陥る可能性がある。その二つは逆方向だが、同じように誤りである。すなわち、その一つは悪魔の存在を信じないことであり、他はこれを信じて、過度の、そして不健全な興味を覚えることである。悪魔どもはこの二つを同じくらい喜ぶ。」(「悪魔の手紙」)
聖書が悪魔に関してどのように書いているかを見ていきましょう。
神は天地を創造される(初めに、神が天と地を創造した。創世記1章1節)前に、天使を創造されました。それは天地創造の後に、神が天使と一緒に創造のみわざを喜んでいることから分かります。その根拠となる聖書の言葉が、ヨブ記38:7に出てきます。このように書かれています。そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子たちはみな喜び叫んだ。ここでの文脈は天地創造で、またここでの星々と神の子は天使をあらわしています。
神は天使と天地を創造される前から存在しておられました。創世記1章1節の「初めに」は聖書の順番では一番最初ですが、起こった順番としては一番最初ではありません。ヨハネの福音書1章1節の方が時系列的に創世記1章1節よりも前になります。このように書かれています。初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった(ヨハネ 1:1)。天地創造の前に、ことばがありました。これはイエス・キリストのことです。最初に神がおられ、イエス・キリストがおられ、聖霊がおられました。三位一体の神は、はじまりのない永遠の昔からおられたのです。
イザヤ書66章22節にはこのように書かれています。「わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように。」またヨハネの黙示録21章1節には「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。」と記述されています。現在の世界はいずれ滅び、新しい天地が神によって新創造されることが神によって約束されています。こちらは終わりのない永遠の世界です。すなわち、聖書は始まりのない永遠から終わりのない永遠までを記述している神のことばなのです。本当の意味で永遠を知っているのは、永遠の神しかおられません。
神は、人間もそうですが、天使を自由意志を持つ存在として創られました。まず旧約聖書の預言書を見ていきましょう。エゼキエル書28章11~19節に天使の描写が出てきます。この箇所はツロ王のことを引き続き語っていますが、天使の堕落についても語っていると私は信じています。12節に「あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。」とあります。天使は非常に美しい存在でした。13節には「あなたは神の園、エデンにいて、あらゆる宝石があなたをおおっていた。赤めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トルコ玉、エメラルド。あなたのタンバリンと笛とは金で作られ、これらはあなたを造られた日に整えられていた。」と表現されています。
ここに出てくるエデンは、創世記のエデンとは違います。ここでのエデンは、神の園、天における神の住まいを示しています。宝石と金は、神の栄光を現わしています。この天使は驚くべきものを持っていました。14節に「わたしは、油注がれた守護者ケルビムとしてあなたを任命した。」(新改訳2017)とあります。天使には階級があります。ケルビム、セラフィム、大天使、天使たちの順番です。この天使は一番上位のケルビムの天使に属していました。ケルビムの中でも油注がれていたと書かれているので、ケルビムたちを指導して神を礼拝する職務(働き)に任命されていたということではないでしょうか。
15節には「あなたの行いは、あなたが造られた日から、あなたに不正が見いだされるまでは、完全だった。」とあります。この天使は完全な存在でした。不正が見いだされるまでは、です。「までは」という言葉は、長い期間を示しています。しかし、不正が起こりました。この天使は神に反逆し、堕落し、悪魔に堕ちたのです。
16節を見ましょう。「そこで、わたしはあなたを汚れたものとして、神の山から追い出し、守護者ケルブが、火の石の間からあなたを消えうせさせた。」とあります。「汚れた」とは「踏み越える」とも訳すことができ、自分の本来の天使である地位を越えてしまったことを意味しています。神はこの天使を神の住まいから追い出し、与えていた支配権を奪い取りました。
続いて17節です。「あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。」この天使は自分の美しさと輝きのために高ぶり、越えてはいけない神との境界線を越えてしまったのです。その結果、神は彼を天から地に投げ落としました。
イザヤ書14章にも天使が堕落して悪魔になってしまった記述があります。ここもバビロン王の記述とも見ることができますが、バビロン王のことだけではなく、更に深い意味があり、天使の反逆をも啓示していると私は信じています。まず12節です。「暁の子、明けの明星(ルシファー)よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。」「明けの明星」とは、ヨブ記38章7節に出てくる「明けの星々」、すなわち、天使を指しています。続いて13,14節です。あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』
この天使はどの御使いたちよりも、階級が高い位にいました。私は、ルシファーは元々ケルビムの一人であったと考えています。その地位で満足できなくなっていきました。そしてついに、自分の分を越えてしまったのです。神と等しくなろうとしたのです。いや、神を超えていこうとしたのでしょう。その結果どうなったのでしょうか。15節にはこうあります。「しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。」この天使はあまりにも高慢になってしまったので、神に裁かれたのです。神に反逆したため、天から落とされ、悪魔へとなってしまったのです。
これが悪魔の起源です。神は最初、良いものしかお創りになりませんでした。決して悪いものは何一つ創られなかったのです。しかし、神は絶対に神に従うロボットのような存在を創ったのではなく、彼らに自由意志を与えました。その与えられている自由意志を使って高ぶり、自分の分を越えた天使が神に反逆し、天から落とされ、堕天使として悪魔になったのです。
次に新約聖書を見ていきましょう。ユダの手紙6節にはこのように書かれています。主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。
天で戦いが起こったのです。光と暗闇、善と悪との戦いです。この時に、全ての天使に決断が迫られました。神につくか、神に反逆している天使につくかです。おそらく3分の1の天使が神に反逆した天使(後の悪魔、サタン。ルシファー)についたと思われます。赤い竜(悪魔の象徴)の尾が天の星(天使)の三分の一を引き寄せたと黙示録12章3,4節に書かれていますので。見よ。大きな赤い竜である。、、、その尾は、天の星の三分の一を引き寄せ(黙示録 12:3,4)神に落とされた堕天使が悪魔になり、悪魔側についた堕天使たちが悪霊になったのです。ここでの原文は、過去時制が使われているので、すでに過去に起こった出来事を再現して見せているようなものと言えます。
ルシファーと戦ったのは大天使ミカエルです。ミカエルは戦いのための天使です。天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。(黙示録 12:7,8)よく神vs悪魔(ルシファー)、天使vs悪霊(堕天使)の構図で言われますが、神は別格で、神vs悪魔にはなりません。ルシファーに対峙するのは天使長ミカエルで十分なのです。
『堕天使を深淵に落とす大天使ミカエル』ルカ・ジョルダーノ 美術史美術館(ウィーン)/1655年頃
使徒ペテロは書いています。神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました(ペテロの手紙 第二 2:4)。しかし、悪魔はまだ火と硫黄の池には投げ込まれていません(黙示録 20:10)。悪魔と悪霊どもは、まだこの地上で働くことが神によって許されているのです。
では最後に創世記を見ていきましょう。初めに、神が天と地を創造した(創世記 1:1)、とありますが、神は完全な世界を創造されました。しかし、創世記1章2節を見ますと、地は茫漠(ぼうばく)として何もなかった。やみが大いなる大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。(創世記 1:2)と書かれています。状況は一変しています。2節に完璧なはずであった地が茫漠として何もなかった、と書かれているのです。
クリスチャンと教会の間には、一つの一般的な考え方、通説があります。それは創世記1章1節は、天地創造の要約で、1節の内容を2節以下で細かく説明しているというものです。2節の「地」は、1節の「天と地」の「地」を受け、2~31節で地の創造を具体的に書いている、1節で包括的に語っている創造全体を2節以下で改めて具体的に説明している、というわけです。実際、私が使用としている新改訳聖書(チェーン式)の注の部分にもそのように解説されています。
しかし、茫漠とした、すなわち、むなしく、とりとめがなく、はっきりしない混乱した何もないような無秩序の状態は、神の創造の結果ではないと思います。イザヤ書45章18節にはこのように書かれています。天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上げた方、すなわちこれを堅く立てた方、これを茫漠としたものに創造せず、人の住みかにこれを形造った方、まことに、この主がこう仰せられる。「わたしが主である。ほかにはいない。」天地を創造した神は、天地を茫漠としたものに創造しなかった、と書かれているのです。
神は混沌とした世界を創造されたのでしょうか。私はそうではないと思っています。初めに神は完璧な天地を創造しました。しかし、1節と2節の間に何かが起こったのです。英語の聖書{NIV訳(New International Version)}にはこのように書かれています。1 In the beginning God created the heavens and the earth. 2 Now the earth was(became) formless and empty~ 2節の「地は茫漠として何もなかった」という文の前に「Now」(さて)という言葉が置かれています。原語のヘブル語では接続詞「ワ」が置かれています。それは1節の内容が続くというよりも、1節の内容が変わる、と見ることができます。そして「was」(であった)ではなく、「became」(となった)と訳すことができるとNIV聖書の注に記されています。すなわち、1節と2節はこのような意味に訳した方がふさわしいと思います。「初めに、神が完璧な天地を創造されました。さて(しかし)、地は茫漠として何もない混沌とした状態となってしまいました」と。
では1節と2節の間に、何が起こったのでしょうか? 天使の堕落、サタンの登場があったのです。神は天地(物質世界)を創造する前に、霊の世界を創造されていました。天使たちの創造です。彼らは、最初の人間であるアダムとエバが住んだエデンではなく、神と天使たちが住む「神の園、エデン」(エゼキエル書 28:13)に住んでいて、神を賛美していたのでしょう。天地を創造された時も、大勢の天使たちによって賛美集会が持たれました(ヨブ記 38:7)。神は、神の園エデンを造り、天使の賛美の中に住まわれても、満足されなかったのだと思います。ですから神によって愛される特別な存在として人間が創造され、地に住まわせることが計画されました。しかし、人間が創造される前に、天使の堕落によって、天使は悪魔と悪霊に堕ちてしまい、その結果、地は呪われてしまいました。
創世記3章で、蛇すなわち悪魔が登場します。創世記1章と2章において直接的には悪魔は出てきません。ですから、1章と2章のどこかで天使が創造され、その天使が堕落して悪魔に堕ちたと考えるのが、聖書全体から見て必然的に導き出されると思います。聖書は、天使の存在と悪魔、悪霊の存在を抜きにしては、解釈することが不可能な書物です。天使の創造が創世記1章1節の前に起こり、天使の堕落が創世記1章1節の後に起こったというのが、私の立場です。その結果、闇が覆ってしまい、天地は自ら再生することができなくなってしまいました。
闇があって、地は絶望的な状況でした。しかし、神の回復のみわざがはじまります。それが神の霊である聖霊の働きです。やみが大いなる大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。(創世記1:2)と書かれています。聖霊は、天地創造のみわざに父なる神とイエス・キリストと共に関わっておられました。聖霊は私たちに希望を与えてくださいます。イエス・キリストにある希望です。最終的な希望は、イエス・キリストの再臨、千年王国(黙示録20章)、新天新地(黙示録21,22章)にあります。千年王国は、アダムの罪によって呪われた被造物の世界の回復です。新天新地は、サタンの堕落によって呪われた天地の回復です。
この時代、国々を暗闇が覆っています。私たちの周りの状況を見る時に、失望し、場合によっては絶望的な気持ちになることがあると思います。どこに希望があるのでしょうか。聖霊の働きに希望があります。私たちの状況は混沌としているかもしれません。私たちの心は混乱することがあるかもしれません。しかし、聖霊は働いておられます。聖霊が秩序と安定を私たちの状況と心に与えてくださいます。
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