和解をもたらす福音 コロサイ人への手紙 1:18-23(聖書)

18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。19 なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。21 あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行いの中にあったのですが、22 今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。23 ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられているのであって、このパウロはそれに仕える者となったのです。(コロサイ人への手紙 1:18-23)

教会は「キリストのからだ」であり、イエス・キリストは、「教会のかしら」です。頭と体が切り離すことができないように、イエスと教会(私たち)は切り離すことができません。イエスは地上生涯において、ご自身のからだを用いて働きをされましたが、今は「キリストのからだ」である教会を用いて、私たちを用いて働きをされたいと願っておられます。

御子イエス・キリストは初めです(18節)。イエスはアルファ(最初)であり、オメガ(最後)です。コロナウイルス「オミクロン」は、24文字からなるギリシャ文字の15番目です。残り9文字で最後のオメガになってしまうので、そこまで行く前に収束して欲しいと願っています。イエス・キリストがアルファであり、オメガであるというのは、イエスはあらゆるものの最初であり最後である、歴史の創始者であり完成者である、ということです。

イエスは、死者の中から最初に生まれた方、肉体と霊の両方において最初によみがえられた方です。それまでもよみがえった人、生き返った人はいました。旧約聖書では預言者エリヤがツァレファテのやもめの息子を生き返らせ、預言者エリシャがシュネムの女の息子を生き返らせました。新約聖書では、主イエスがナインのやもめの息子、会堂管理者ヤイロの娘、ベタニヤのラザロを生き返らせました。また使徒ペテロが女性の弟子ドルカスを生き返らせ、使徒パウロが青年ユテコを生き返らせました。しかし、彼らはまた死んでしまったのです。

でも主イエスは違いました。イエスは復活された時、死ぬことがないからだによみがえったのです。ここに希望があります。私たちもそうです。このからだは朽ちます。しかし、イエスを信じる私たちも、イエスと同じ死ぬことのないからだが与えられます。この世のことは全て一時的です。過ぎ去っていきます。イエスが、「全世界を得てもまことのいのちを損じたら何の得がありましょうか」(マタイ16:26)と言われましたが、まさにその通りです。しかし、私たちにはまことのいのち、復活のいのちが与えられています。

イエスは最初に生まれ(15節)、死者の中から復活によって最初に生まれた者になられました(18節b)。私たちは罪を犯して、その結果、本来の「神のかたち」が壊れてしまいました。しかし、「神のかたち」の回復がイエスの十字架によって人類にもたらされました。イエスは創造の初めであり(第一の者であり)、復活による新創造の初め(第一の者)でもあられます。旧創造においても、新創造においても、イエス・キリストが最初であり、第一です(18節c)。外面的には私たちは旧創造の中にいます。罪のからだを持っています。それはアダムと同じです。しかし、内面的には、私たちは新創造の中にいます。Ⅱコリント5:17にこのように書かれています。だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。第二のアダム、イエス・キリストによってです。アダムによって壊されてしまった神との関係が、第二のアダムであるイエス・キリストによって回復されたのです。御子イエスによって罪が赦され、霊的ないのちが与えられています。

「御子は・・死者の中から最初に生まれた方」(18節)とあるのは、御子イエスの復活が、私たちがやがて栄光の身体へと復活する「第一のもの」、復活の初穂だからです。それは、御子イエスが万物より先に生まれた方として、万物を創造されたのと同じように、御子イエスこそが、死者の中から最初に生まれた方として、最初に霊と肉の両方においてよみがえられた方として、この世界を再創造してくださるという意味が込められています。

そして今から、私たちの過去の状態、現在の状態、これからの状態(未来)について見ていきます。

①過去

私たちはアダム同様、罪人で、神との関係が壊れていました。かつては神を離れ、心において神の敵となり、悪い行いの中にありました(21節)。アダムは神の命令に背き、善悪の知識の木から取って食べ、神が考える善悪を基準にするのではなく、自分自身で基準を決め、生きるようになりました。神中心ではなく、自己中心で生きる決断をしたのです。まさに悪魔の支配下におかれてしまいました。神と敵対して歩むことになったのです。それは戦争状態と言えます。仲介者がいなければ解決しません。

今、ロシアとウクライナの戦争が長引いています。国同士の争いに平和がもたらされるようにと私たちは祈ります。民族同士にも争いがあります。この世の中には様々な種類の争いがあります。しかし、最も深刻な争いは、神と人の間にあるものです。神を敵にまわすほど恐ろしいことはありません。神は愛なるお方ですが、義なるお方でもあります。必ず罪を裁きます。私たちは罪のゆえに、本来は神によって裁かれなければいけませんでした。それが私たちの過去の姿です。

アダムは罪を犯した時に隠れました。しかし、神はアダムを見捨てられませんでした。「あなたは、どこにいるのか」(創世記3:9)と捜してくださり、見つけ出して、動物の皮を持って、罪を犯したアダムとエバの恥を裸を、罪を覆ってくださったのです。それはイエス・キリストの十字架を啓示しています。神の小羊であるイエス・キリストです。

②現在

私たちは神の敵となってしまっていたのです。しかし、ここに「和解をもたらす福音」があります。イエスが仲介者となって、神と人類との間にあった、そして神と私との間にあった戦争状態を終わらせ、平和をもたらしてくださいました(20節)。イエスの十字架の血によってです。福音は「平和の福音」です。「和解をもたらす福音」です。私たちは、イエス・キリストを通して、神と和解することができました。

イエスの血だけではありません。イエスの「肉のからだ」によって、私たちに和解がもたらされました(22節)。「肉のからだ」によって。これは異端を意識しています。この点をコロサイ教会に入り込んでいた異端の教えは否定していたからです。グノーシス主義は、肉(目に見える体)は悪いもの、汚れたものとしていました。ですからイエスの受肉を拒絶していたのです。もしイエス・キリストが肉体を取ったのなら、それは悪であり、まして神であるはずがないと。しかし、使徒パウロは、聖書ははっきりと宣言します。「イエスの肉のからだ」によって、和解がなされたのだと。ですから、私たちは聖餐式を通して、毎月、イエス・キリストの流された血潮と裂かれたからだを覚え、感謝を捧げることは大切です。なぜなら、異端の教えは今も蔓延しているからです。そしてクリスチャンたちを惑わし、教会を壊そうとしています。それは初代教会の時から変わっていません。悪魔が働いています。

神と和解した結果、素晴らしい祝福が私たちに与えられています。私たち全ての人が死にます。病が癒され、生き返る経験をたとえしたとしても、いつか死にます。そして死後に裁きがあります。人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている、とへブル人への手紙9:27に書かれています。

しかし、神と和解しているなら、仲直りしているなら、戦争状態が終わっているなら、神の御前に立つ時に、聖い者として立つことができます。本当は汚れているんですけど、イエス・キリストの十字架の血潮によって聖められているので、聖なるものとして、罪がない者として、神の前に大胆に出ることができます。そして、傷がない者として、非難されるところのない者として、最後の裁きの時に、神の前に堂々と立つことができるのです。本当は有罪だったんですが、無罪の者として判決がくだされます。何と感謝なことでしょうか。

③未来

信仰に踏みとどまることが大切です(23節a)。この世界には不信仰の霊が働いています。コロサイ教会には異端の教えが入り込んでいました。しかし、パウロは堅く立ち、信仰に留まり、正しい福音を宣べ伝え続けました。いつの時代も偽物は出てきます。昔も今もそうです。パウロには福音を伝える使命が与えられていました(23節b)。私たちにも福音を伝える務めが与えられています。

どのような福音でしょうか?「和解をもたらす福音」です。神と人が和解することのできる福音です。Ⅱコリント5:18-20にこのように書かれています。18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。

神は、和解のことば(和解をもたらす福音のメッセージ)を私たちにゆだねられました。私たちはキリストの使節です。人々に「神の和解を受け入れるように、神と平和な関係を持つように」と語る、和解の務めが与えられています。

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投稿者:canaan

埼玉県で10年間&北海道で10年間牧師の働きをしました。現在は神奈川県の教会で協力牧師をしています。私自身が様々なことば(特に聖書のことば)で力づけられてきたので、希望に満ちたことばをお伝えしたいと願っています。I used to be a pastor in Saitama prefecture for 10 years and Hokkaido for 10 years. Now I am a cooperating pastor in Kanagawa prefecture. I myself have been empowered by various words(especially Bible ), so I would like to tell the hopeful words. 

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