聖書に書かれている一番最初の言葉

初めに、神が天と地を創造した。(新改訳聖書 創世記1章1節)

創世記1章は創世記の序文であるばかりでなく全聖書の序文でもあり、聖書の全てがこの土台の上に記されています。その中でも特に1章1節は全聖書の序言です。聖書の全ての記述は神の創造に基づいています。

「初めに」とは、ヘブル語では「べレシート」で、時間と空間のはじまりを意味しています。アウグスティヌスはこのように書いています。「世界は時間の中に創造されたのではなく、時間と同時に創造されたのである。」 時間は天地創造と同時にはじまったのです。しかし、永遠のはじめではありませんでした。それまでは時間という概念はなく、無時間で、永遠という時間があるだけ、永遠の神が存在するだけでした。

ここでの主語の「神」は、原語のへブル語では複数形「エローヒーム」が用いられています。しかし、動詞の「創造した」(へブルでは「バーラー)は単数形になっているので、ここでの神は三位一体の神(父なる神、子なる神イエス・キリスト、聖霊なる神)をあらわしています。

イエス・キリストも天地創造のみわざに関わっておられました。ヨハネの福音書1章1~3節にはこのように書かれています。初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。ここでの「ことば」(原語のギリシャ語では「ロゴス」)はイエス・キリストを表しています。「ことば」と「この方」の箇所に「イエス・キリスト」と当てはめて読んでみてください。

また聖書の他の箇所にはこのように記されています。万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。(コロサイ人への手紙1章16~17節)

ですから創造は父なる神からのものですが、創造のわざは御子イエス・キリストと御霊を通してなされたものであると言えます。

時間的には創世記1章1節よりもヨハネの福音書1章1節の方が先です。創世記の「初めに」は天地創造の初めではありますが、永遠の初めではありません。三位一体の神は永遠の昔から存在されました。モーセは祈っています。山々が生まれる前から、あなたが地と世界とを生み出す前から、まことに、とこしえからとこしえまであなたは神です(詩篇90:2)。

そのような神が無から有を生み出し、天地万物を創造されました。ヘブル語で「創造した」は「バーラー」が用いられていて、以前に存在しなかったものが創られ、絶対的に新しいものが創り出される時にだけ使われる言葉です。すなわち、神だけができる行為であり、無からの創造です。「バーラー」は神を主語としてのみ用いられる動詞であり、決して人間にはできない行為です。人にできるのはせいぜいすでにあるものを改良したりすることで、全く新しい創造や無からの創造は決してできません。

初めに神が何を創造されたのでしょうか。「天と地を」と書かれています。「天」はヘブル語で「シャマイム」です。「空間」または「広々と広がった」というような意味にも訳される言葉です。初めに神は空間を創られました。「地」はへブル語で「エレツ」です。「地球」または「物質」とも訳されます。ですから三位一体の神は、初めに目に見える地球や宇宙といった自然界を創造されました。

日本では進化論だけが教えられていますが、進化論は仮説であることを覚える必要があります。生命が偶然に誕生する可能性は限りなくゼロに等しいことが科学界でも認められています。ある意味こちらの方が大きな信仰が必要と言えます。

精巧に作られた地球儀があるとしましょう。それはなぜ存在するのでしょうか。ある時、何かが爆発し奇跡的な偶然が重なって、突然地球儀が目の前に出現すると信じることができるでしょうか。それよりも地球儀を作った人がいたからこそ、地球儀がそこに存在すると信じる方が理論的だと思います。これが創造論です。

ただ結局は、創造論も進化論も仮説なので、それぞれどちらを信じるかは個人の信仰次第ということになります。どちらも証明することはできません。しかし、進化論が科学、創造論が神話というようなことはないので、騙されないようにしなければなりません。あくまで、これは仮説vs仮説、信仰vs信仰なのです。どちらを信じるかはそれぞれに委ねられています。日本の教育における大きな問題は、仮説に過ぎない進化論を真実であるかのように教えていることです。いずれ公平に両方が教えられ、どちらを信じるかは生徒に選択させる日がくるといいのですが。学生たちに考えさせること、それが本当の教育でしょう。

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投稿者:canaan

埼玉県で10年間&北海道で10年間牧師の働きをしました。現在は神奈川県の教会で協力牧師をしています。私自身が様々なことば(特に聖書のことば)で力づけられてきたので、希望に満ちたことばをお伝えしたいと願っています。I used to be a pastor in Saitama prefecture for 10 years and Hokkaido for 10 years. Now I am a cooperating pastor in Kanagawa prefecture. I myself have been empowered by various words(especially Bible ), so I would like to tell the hopeful words.