1 さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、2 神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。3 そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられた。4 神の子らが、人の娘たちのところに入り、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリム(七十人訳は巨人)が地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。5 主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。6 それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。7 そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」8 しかし、ノアは、主の心にかなっていた。(創世記6:1-8)
ここで問題になるのは、「神の子ら」は誰なのかということです。この箇所にはいろいろな説がありますが、代表的なのは、以下の二つです。
神の子らとはセツの子孫で、人の娘たちとはカインの子孫だという説です。疑問点は、このような結婚でネフィリムという巨人(超人)が生まれることが果たして可能なのかということです。
またもう一つの説は、この神の子らとは堕落した天使、すなわち悪霊であり(ネフィリムの語源は「落ちる」の意味があります)、人の娘たちとは人間の女性全般のことであるいう説です。。神が悪魔に語られた「女の子孫によって頭が踏み砕かれる」というみことばを、悪魔が人間のかたちを破壊し、女の子孫の誕生を妨害しようとしたと考えることができます。アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ(創世記5:3)。これが神の御心でした。しかしここで、人間のかたち通りでないネフィリム(巨人、または神と人の子供である超人とも訳すことができます)が生まれています。ただ堕落した天使が人間と交わることが本当にあるのかという疑問は残ります。
ここでは結論を出さないでおきます。ただ何らかの原因があって巨人(超人)が誕生したということ、人間の罪が増大したということだけは、この箇所から読み取れると思います。そして神はそのような人間の罪と悪に対して裁きを下すことを決断します。
5 主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。6 それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。7 そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」
それは、神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった(創世記1:31)の時の世界の姿と何と違うことでしょうか。しかし、ノアは主の心にかなっていました(8節)。ですからノアと彼の家族は箱舟に入って、大洪水の裁きから逃れることができたのです。私たちは主の心にかなっているでしょうか。
この罪を通して、人間の寿命が超長寿から120年ぐらいになりました。洪水後は、アブラハムは175歳、イサクは180歳、ヤコブは147歳、ヨセフは110歳、モーセは120歳で死んでいます。神の裁きである洪水によって自然環境が劇的に変わったと考えられます。
ここで創世記の第三の区分(5:1-6:8)が終わります。すなわち、アダムの系図です。第一の区分は1:1-2:3、第二の区分は2:4-4:46です。
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