アダムの創造

創世記2章3節までが創世記の序論になります。聖書の最初の書物である創世記は内容的に大きく二つに分けることができます。1-11章と12-50章です。創世記2章4節以降の記述は、1章27-29節の人間創造と男女の結婚を詳しく記したものです。ですからここは六日目の記述と言うことができます。2章4-7節にはこのように記されています。

4 これは天と地が創造されたときの経緯である。神である主が地と天を造られたとき、5 地には、まだ一本の野の潅木もなく、まだ一本の野の草も芽を出していなかった。それは、神である主が地上に雨を降らせず、土地を耕す人もいなかったからである。6 ただ、水が地から湧き出て、土地の全面を潤していた。7 神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。(新改訳聖書 創世記2:4-7)

2章4節の「神である主が地と天を造られたとき」というように「地と天」という順番で書かれているのは、神の創造の主目的が人間であるためでしょう。創世記1章10節で人間の住む所が海ではなく陸であることが示され、この2章4節では、天ではなく地上であることが示されています。それは神の創造の最終的な目標が人間であるためです。

5節の「地には、まだ一本の野の灌木もなく、まだ一本の野の草も芽を出していなかった」を表面的に見ると、ここは1章の記述と矛盾しているように思えます。1章では第三日目に植物が造られ、第六日目に人間が造られているの対して、2章では人が先に造られ、その後に木や草が造られているように見えます。ところが、聖書で「野の草」と訳されているのは、人が生存するために労働して栽培する農作物を指しています。したがって人が造られる前に、人が栽培する農作物があるはずがないので、「神である主が地上に雨を降らせず、土地を耕す人もいなかったからである」と説明されています。

ミケランジェロ作/アダムの創造 

ミケランジェロの「天地創造」は、バチカン市国にある「システィーナ礼拝堂」の天井に壮大なスケールで描かれていますが、その中でも特に有名なのが「アダムの創造」です。アダムは人類で最初の人間です。彼は神によっていのちの息を吹き込まれて生きた者となり、いのちが与えられたのです。この絵では、神が手を伸ばし、その指先が今まさにアダムの指に触れて命を注ごうとしているような描き方になっています。

ヘブル語で土地は「アダマー」で、人は「アダム」です。土地のちりで形造られたので、人はアダムと呼ばれました。そして、その鼻にいのちの息(神の霊)を吹き込まれました。ヘブル語で息は「ネーシャマー」で霊と同語で、どちらにも訳すことが可能です。ここに人間の二面性を見ることができます。一つは、人間は「土のちり」に過ぎないということです。ちりはもとあった地に帰り、霊はこれをくださった神に帰る(伝道者の書12章7節)。私たちがちりに過ぎないことを認識すると謙遜にさせられます。しかし、あまりにも自分がちりに過ぎないと思い悩むと、暗くなってしまいます。

そこで人間のもう一つの面を思い起こす必要があります。それは私たちは神の霊が吹き込まれている者であるということです。すなわち、「神のかたち」が与えられている特別な存在であるという認識です。この両面の自己認識が大切です。自分はちりに過ぎなく無価値であるという自己認識と、しかし一方で「神のかたち」に創造されたもの凄い価値があるという自己認識です。それは矛盾しません。そのバランス感覚を持つことが健全な成長をもたらすのではないでしょうか。

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投稿者:canaan

首都圏で10年間牧師をしていましたが、現在は地方のキリスト教会で牧師をしています。旅行会社と農場の経営もしています。私自身が様々なことばで力づけられてきたので、希望に満ちたことばをお伝えしたいと願っています。I used to be a pastor in the metropolitan area for 10 years, but now I am a pastor at a local Christian church. Also I run a travel company and farm. I myself have been empowered by various words, so I would like to convey the hopeful words. 

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