箱舟は大洪水によって、激しく揺らされて本当に大変だったでしょう。私たちもこの世の様々な嵐によって、生活と人生、心が揺さぶられることがあります。しかし、神は箱舟の中にいたノアたちを心に留めておられました(1節)。
1 神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。2 また、大いなる水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨が、とどめられた。3 そして、水は、しだいに地から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始め、4 箱舟は、第七の月の十七日に、アララテの山の上にとどまった。5 水は第十の月まで、ますます減り続け、第十の月の一日に、山々の頂が現れた。(創世記 8:1-5)
神はノアたちのことを覚えておられたのです。彼らに特別な関心を持っておられました。それはノアと結ばれた契約のゆえです。しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟に入りなさい。またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつ箱舟に連れて入り、あなたといっしょに生き残るようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない(創世記 6:18,19)。ノアと彼と一緒に全てのものは、神との契約のゆえに守られました。神は契約を大事にされ、契約によって行動されます。
イスラエルをエジプトの圧政から救い出された時もそうでした。それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。イスラエル人は労役にうめき、わめいた。彼らの労役の叫びは神に届いた。神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエル人をご覧になった。神はみこころを留められた(出エジプト記 2:23-25)。神はアブラハム、イサク、ヤコブと結んだ契約のゆえにイスラエルの民をエジプトから救い出されたのです。
イスラエルの民が最後に救われることもまた神との契約のゆえです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。神の賜物と召命とは変わることがありません(ローマ人への手紙 11:25-29)。
私たちもイエスを通して新しい契約を結びました。イエスは弟子たちに言われました。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。」(ルカの福音書 22:20) この契約のゆえに神は私たちを心に留め、特別な守りを与えてくださっているのです。イスラエルの民は小羊の血によって守られました。私たちも神の小羊とし十字架に架かられたイエス・キリストの血による新しい契約のゆえに守られます。「イエス様の血によって私と私の家族を守ってください」と祈ることはとても大切です。
神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めました。神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた(1節)。この風という言葉は原語では「霊」と同じです。聖霊が風のように働かれて、裁きとしての水を退かせたと見ることができます。神の回復のみわざです。それは創世記 1:2にも見られたことでした。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。聖霊が闇で覆われていた世界に回復のみわざを始められたのです。聖霊は私たちの人生にも働いてくださり、回復を与えてくださいます。
聖霊の風が吹いてきますように。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るゆな響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。(使徒の働き 2:2-4)
天の水門が閉ざされ、大雨がとどめられ、水は引き始めました。水は150日後に減り始め、箱舟は7月17日にアララテ山の上にとどまりました。水はますます減り続け、10月1日に山々の頂が現れました(2-5節)。
私たちはイエス・キリストを通して神と契約(新約)を結んだ契約の民です。ですから、神は私たちのことを決して忘れることはなく、覚えていてくださり、心に留めてくださっています。
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