自由のために戦う勇気

そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」(新改訳聖書 マタイの福音書22章21節)

国(政府)に対して、一人の国民として、一人の信仰を持った者(キリスト者だけでなく全ての宗教に当てはまります)として、どのような態度を取るべきかというのがここでのテーマになります。上記の言葉は、新約聖書の中でも有名な言葉の一つです。政治と宗教の関係を最も適切に表現したものと考えられています。

ローマ人への手紙13章7節には、税を納めなければならない人には税を納めなさい、と書かれていますが、イエスは「カイザルのものはカイザルに返しなさい」と税金を納めるようにと言いました。通貨の肖像は、王権の象徴でした。このカイザル(皇帝)の肖像が銘記されている通貨を税金として納めることを通して、人々は国の権威を認めていることになります。しかし、彼らは後にイエスの裁判の時に作り事を述べました。「この人はわが国民を惑わし、カイザルに税金を納めることを禁じました。」(ルカの福音書23章2節)と。

イエスの12弟子の中にはローマの転覆を狙っている熱心党の人がいましたが、イエスは決して熱心党のように反ローマではありませんでした。

人はみな、基本的には上に立つ権威に従うべきです。聖書のローマ人への手紙13章1節に書かれている通りです。人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。

ローマ13章4節にはこのように書かれています。(上に立つ者)があなた(国民)に益を与えるための、神のしもべだからです。と。国家は、国民に安全をもたらすための神の方法であると見ることができます。税を納め、国民としての義務を果たしなさい、と聖書は教えます。国民は政府から安全や福祉などの益を受けています。その益を受け続けるためには、代価を払って税を払わなければなりません。国はコロナ禍にあって危険な状況にある国民のいのちを守る責任があります。国民には税を納めて国を支える義務があります。イエスは、ローマ帝国に徹底抗戦を叫ぶ熱心党員でも、ローマに媚びへつらうようなヘロデ党員でもありませんでした。

イエスご自身は、ピラトの裁判に従い、その判決を受け入れ、十字架に架かりました。不正の裁判だったので、イエスには刑を逃れるチャンスがありましたが、イエスは自ら十字架に架かりました。

教会は、イエスが語られた言葉に従い、ローマ皇帝を認め、時の権力とぶつからないように配慮しながら歩んでいきました。ただ、地上における権威が常に正しいわけではありません。そのような意味で良い政府を持つ国民は幸せです。一人の国民として私たちは、最大限の努力をして上に立つ者を敬う必要があるのは間違いありません。

しかし、政府が命令を出して神の領域に、自由の領域に介入した時、教会(イエスの弟子ペテロたち)は、「人に従うより、神に従うべきです」(使徒の働き5章29節)と言いました。

政教分離と言いますが、宗教と政治が結びつくと、教会はいのちを失い、霊的に死んでしまいます。これは私たちが歴史から学べる教訓です。初代教会(紀元1~3世紀頃)にはいのちと躍動感が溢れていました。しかし、ローマ帝国がキリスト教の迫害をやめ、キリスト教を国の宗教として認めると、教会は徐々に堕落していきました。

初代教会のように「人に従うより、神に従う」ことができなかったのが、戦時中の教会です。国が明らかに間違った方向へ進んでいたのに、教会は神に従うのではなく、人(政府)に従ってしまったのです。一番酷かった代表的な例は、独裁者ヒトラーに対してです。ヒトラーはローマ書13章を使って教会に国家への服従を要求したのです。多くの教会がヒトラーの前に屈してしまいましたが、激しく抵抗した人もいました。代表的な人物が、ルター派教会牧師のディートリヒ・ボンへッファーです。彼はマルチン・ルターの神学に深く根差していました。彼は20世紀を代表する神学者の一人で、非常に鋭い洞察力を持っていました。1933年にヒトラーが帝国宰相の座につき絶対的権力を握るに及んで、いち早くその悪魔的性格を見抜きました。やがてナチス政権が教会に干渉するようになると、抵抗運動を行います。ボンヘッファーはキリストに従うという点において徹底していました。彼は終戦直前の1945年4月9日に処刑されました。

日本では第2次世界大戦の戦時中に、天皇崇拝を教会に強要し、従わなければ弾圧した歴史があります。ホーリネス系の教会は国家に抵抗したために殉教者がでました。

国や国の指導者が、国民から自由(信仰の自由も含めて)を奪うなら、私たちは抵抗する勇気を持つべきです。今の香港は危機的と言わざるを得ません。香港民主派の周庭(アグネス・チョウ)さんは2019年10月に、村上春樹氏が2009年にイスラエルのエルサレム市内でしたスピーチ「高くて固い壁と、ぶつかって割れてしまう卵があるとき、私は必ず卵の側に立つ」の言葉を引用し、香港政府に抵抗する意思を表明してきていましたが、先日10か月の禁錮刑に処されました。本当に酷い判決です。中国共産党には、人権、自由はありません。当然、宗教の自由もありません。中国の教会は、共産党に監視され、実質的に信仰の自由が奪われています。仏教を信仰しているチベット族、イスラム教を信仰しているウイグル族なども弾圧されています。それに抵抗すると、監獄に入れられ殺されるわけです。

2020年のアメリカ大統領選挙では、日本の主要メディアはバイデン氏の当選確実だけを報道し、トランプ氏が潔く敗北を認めていない、というような報道しかしていません。民主党による不正投票疑惑などについてはほとんど報道されていません。民主主義の守護者を自認しているはずのアメリカリベラル大手メディアがこのことについてはほとんど沈黙しています。日本でもアメリカでもそうですが、主要メディア(テレビや新聞)の報道には、明らかに偏りがあります。国民を一つの方向へ導こうとしている意図があるのを強く感じます。

アメリカが左翼化しているのが現状です。これは非常に危険です。アメリカがアメリカでなくなったら、すなわち、今民主党が進もうとしている方向へこれからも行くならば、アメリカと世界は全体主義の方向へ行くことになってしまうでしょう。まさに、ジョージ・オーウェルが「1984年」で描いた世界が、また聖書に書かれている終末世界が、現実になろうとしているのでしょうか。とても恐ろしいことです。

もし今の日本には関係ないと思っているなら、それは楽観視しすぎと言えます。陰謀論で片付けようとする人がいるのも事実です。ヒトラーが1930年代にドイツを支配し始めていましたが、その時のことをマルティン・ニーメラー牧師はこのように表現しました。

まずユダヤ人を彼らは攻撃した。でも、私はユダヤ人ではなかったので何もしなかった。次に、社会主義者を攻撃した。でも、私は社会主義者でなかったので何もしなかった。そして、カトリック教徒を攻撃した。でも、私はカトリック教徒ではなかったので何もしなかった。そして、ある日ついにナチスはプロテスタント教会を弾圧してきた。私は牧師として行動に立ち上がったが,その時はすべてがあまりに遅過ぎた。

第2次世界大戦において日本は失敗したのです。これが歴史的事実です。それを決して忘れてはいけません。当時、日本のメディアは国民に嘘の報道をしました。その本質は残念ながら現在でも変わっていません。日本では嘘の報道はしないのかもしれませんが、ある部分を全く報道しないということを通して、ある部分だけを徹底して報道するということを通して、情報を操作してアメリカ大統領選挙の全体を報道していません。そのことによって国民が偏った見方しかできないようにしているのです。そのような傾向は、アメリカの大統領選挙だけでなく、原発の問題、コロナウイルスの対応、イスラエルの報道の仕方、多くの大事な領域で現在進行形で行われています。

私たちは国民の一人として愛国心を持ち、国を愛し、国の権威に従うべきです。しかし、国家の権威が、神に反逆するなら、表現の自由&信仰の自由を国民から奪おうとするなら、勇気を持って国家に抵抗すべきなのです。手遅れにならないうちにです。そうでないと、第2次世界大戦の時と同じ過ちを繰り返すことになってしまうでしょう。なぜそのようなことが絶対に起こらないと言えるのでしょうか。世界が全体主義へ向かい、人々から様々な自由が奪われる危機が、世界レベルで起こる可能性があるということに、日本人は気づく必要があると思います。

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投稿者:canaan

埼玉県で10年間&北海道で10年間牧師の働きをしました。現在は神奈川県の教会で協力牧師をしています。私自身が様々なことば(特に聖書のことば)で力づけられてきたので、希望に満ちたことばをお伝えしたいと願っています。I used to be a pastor in Saitama prefecture for 10 years and Hokkaido for 10 years. Now I am a cooperating pastor in Kanagawa prefecture. I myself have been empowered by various words(especially Bible ), so I would like to tell the hopeful words.