死ではなくいのちを選ぼう

創造のはじめの三日間の記述と終わりの三日間の記述は並行しています。光(第一日)ー光る物(第四日)、海と天(第二日)ー魚と鳥(第五日)、地および植物(第三日)ー陸の動物と人間(第六日)。

14 神は仰せられた。「光る物が天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のためにあれ。15 また天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」そのようになった。16 神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。17 神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、18 また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神はそれを見て良しとされた。19 夕があり、朝があった。第四日。(新改訳聖書 創世記1:14-19)

光と光る物の違いは、後者が昼と夜とをつかさどるものとされたことにあります。大きい方の光る物は太陽で昼をつかさどり、小さい方の光る物は月で夜をつかさどることになりました。すでに光と闇(4節)、昼と夜(5節)、夕と朝(5節)の区別は神のわざとしてなされていました。第一日目の光の源は太陽ではありませんでした。神ご自身が光であったと言えるでしょう。もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない(ヨハネの黙示録22:5)。聖書の最初には太陽がありませんでしたが、聖書の最後の黙示録にも太陽はなくなります。(天国)は、これを照らす太陽も月も必要としない。神の栄光が都を照らし、子羊が都の明かりだからである(黙示録21:23)。

しかし四日目から光る物(太陽と月、星)が、すでに存在していた昼と夜とを分ける働きを始めます。これらの光る物が、日のため、季節のため、年のためのしるしとなり、天の大空にあって地上を照らし、昼と夜とをつかさどり、光と闇とをつかさどるようになりました。これらは全てやがて創造される人間のための準備でした。神が私たち人類のために用意してくださったのです。また現在も神はこれらを治め維持しておられます。しかし、終わりの日にはこれらのものは衰えます。21世紀の現代、この兆候が表れはじめているのではないでしょうか。

イエスは終末についてこのようにお話をされました。だが、これらの苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます(マタイの福音書24:29)。

この時代、闇が地を覆い、暗闇が諸国の民を覆っています。しかし、イエスは光です。光であるイエスは闇の中に輝いています。イエスは言われました。「あなたがたは、世界の光です。」(マタイの福音書5:14) イザヤ書60:1には「起きよ。光を放て」と記されています。私たちが光を放つことによって、今の世界を少しでも明るくすることができますように。

20 神は仰せられた。「水には生き物が群がれ。鳥が地の上、天の大空を飛べ。」21 神は、海の巨獣と、種類にしたがって、水に群がりうごめくすべての生き物と、種類にしたがって、翼のあるすべての鳥を創造された。神はそれを見て良しとされた。22 神はそれらを祝福して仰せられた。「生めよ。ふえよ。海の水に満ちよ。また鳥は地にふえよ。」23 夕があり、朝があった。第五日。(新改訳聖書 創世記1:20-23)

神は第五日目に魚と鳥を創造されました(21節)。神はまず魚類を造られ、次に鳥類を造られました。そしてそれらを祝福して、「生めよ。増えよ。海の水に満ちよ。また鳥は地に増えよ」と仰せられたのです。創造が先で、繁殖がそれに続きます。

繁殖すること(子を産むこと)は生物に自動的に備わっていたものではなく、神の創造のみわざの結果です。繁殖は神から生物に与えられた祝福でした(22節)。ここで聖書に初めて「祝福」という言葉が登場します。聖書に出てくる祝福という言葉には、神による「繁殖」や「成長」という意味があります。イエスは五つのパンと二匹の魚を祝福して、給食の奇跡、すなわちパンと魚を増やし5千人を養いました(マタイの福音書14:19-21)。

神が私たちに与えようとしているのは、「いのち」です。しかし、人間の罪はいのちを奪い、死をもたらします。聖書は言います。罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです(ローマ人への手紙6:23)。 いのちと死が目の前にあるなら、いのちを選びましょう。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい(申命記30:19)。

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投稿者:canaan

埼玉県で10年間&北海道で10年間牧師の働きをしました。現在は神奈川県の教会で協力牧師をしています。私自身が様々なことば(特に聖書のことば)で力づけられてきたので、希望に満ちたことばをお伝えしたいと願っています。I used to be a pastor in Saitama prefecture for 10 years and Hokkaido for 10 years. Now I am a cooperating pastor in Kanagawa prefecture. I myself have been empowered by various words(especially Bible ), so I would like to tell the hopeful words. 

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