主イエス・キリストにあって一致しなさい ピリピ人への手紙4:1-3(聖書)

1 そういうわけですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。どうか、このように主にあってしっかりと立ってください。私の愛する人たち。2 ユウオデヤに勧め、スントケに勧めます。あなたがたは、主にあって一致してください。3 ほんとうに、真の協力者よ。あなたにも頼みます。彼女たちを助けてやってください。この人たちは、いのちの書に名のしるされているクレメンスや、そのほかの私の同労者たちとともに、福音を広めることで私に協力して戦ったのです。(ピリピ人への手紙 4:1-3)

パウロは「しっかりと立ってください」と勧め、また命じています(1節)。しかし、私たちは弱いので、自分の力だけでは立つことは難しいです。立つことはできるかもしれませんが、ずっと倒れないで立ち続けることは困難です。以前のように、また芸能人の自殺が続きました。精神的に参ってしまう、心のバランスが崩れてしまう、いろいろな理由があるんだと思いますが、疲れ、倒れてしまい、命を絶ってしまったわけです。

ここでパウロは「しっかりと立ってください」書いていますが、それは自分の力でしなさい、と言っているわけではなく、「主にあって」しっかりと立ってください、と勧めています(1節)。主にあってとは、「主イエス・キリストにあって」ということです。

イエスを信じている人は、別の言葉で言うと、「主にある者」と言えると思います。英語ではin the Lord、in Christ というようにin という言葉が使われています。主の中に、イエスの中にという感じです。In の反対はout です。「外に」ということです。これは「主イエス・キリストの外にいて」、私とイエス・キリストは関係がない状態です。一方、in、主にあって、「主の中にいる」ということは、主イエスと自分は関係がある、それも大いに関係があり、人格的な関係を持っているということです。主にあってとは、「イエス様の中にあって、主イエス様から力をいただいて」、しっかりと立つ、そのような意味になると思います。

この地上のことだけに関心があるなら、心を向けているなら、ずっと立ち続けることは難しいでしょう。使徒パウロは、「私たちの国籍は天にあります」と書きました(ピリピ 3:20)。またコロサイ人への手紙 3:2で、あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。と書いています。私たちがこの地上から天に目を向ける時に、また自分自身から主イエス・キリストに目を向ける時に、様々な困難がありますが、希望を持って生きることができます。もしかしたら倒れてしまうことがあるかもしれませんが、でも起き上がることができます。イエスが私たちに立ち上がる力を与えてくださるからです。

パウロは、ピリピ教会のメンバーたち(教会員たち)のことを、「私の喜び、冠」と表現しています(1節)。冠とは、オリンピックのような競技大会で勝者に与えられたものです。ピリピ教会の中には十字架に敵対して歩んでいる人たちもいましたが、でもイエス・キリストを信じる信仰によって歩み、またパウロの模範に従って十字架に生き、勝利するクリスチャンたちもいました。彼らがこれからもこの世の(この地上の)価値観によって、押し流されてしまわないように、また間違った模範に従ってしまわないように、注意して欲しいとパウロは願っていました。

執筆中のパウロ

ピリピ教会にも問題がありましたが、パウロはピリピ教会を励まし、力づけました。パウロはピリピ教会から遣わされてきたエパフロデトから教会の現状を聞いたのでしょう。二人の姉妹に不一致が生じたことを知り、悲しく思っていました(2節)。そこで勧めています。「一致してください」と。ここにも、「主にあって」という言葉が付け加えられています。

一致することは簡単ではありません。人間関係に分裂が起こることはしばしばあります。それはクリスチャンでも教会でも同様です。ですから、自分たちの力で一致してください、とパウロは言っていません。「主にあって」一致してください、と書いています。主イエス・キリストを見上げて、主イエス・キリストの謙遜と従順を見倣って、十字架に従うほどにへりくだられた主イエスを模範にして、一致してください、とパウロは勧めています。

「真の協力者よ、あなたが彼女たち二人を助けてやってください。この二人は福音を広めることで私に協力して戦った人たちです(3節)」とあります。この二人がなぜ仲たがいしてしまったか、理由は書いていないので分かりませんが、でもこの二人は十字架に敵対している人ではなく、主イエスを愛し、十字架に生き、燃えているクリスチャンでした。福音宣教の働き、教会の奉仕を一生懸命にしていました。でも方法論で意見がぶつかってしまったのでしょうか、喧嘩をしてしまったのです。

ここで出てくる「真の協力者」が誰のことか分かりません。別訳では、「スズゴス」(人名)と訳されています。このような名前の人がいて、この人物にパウロはお願いしたのかもしれませんし、真の協力者と言えば、ピリピ教会の人たちはそれが誰であるか分かったのかもしれません。

「いのちの書」に名が記されているクレメンスとあります。クレメンスという人がピリピ教会にいたことが分かります。彼は「いのちの書」に名が記されていました。いのちの書とは、天にある書物のことです。神は天で「いのちの書」を持っておられ、イエス・キリストを信じた人の名をこの書に書き記していきます。

天に国籍があるということは、別の言葉で言えば、「いのちの書」に名が書き記されているということです。この書に名が記されていないならば、天国に入ることはできません。もちろんクレメンス以外にも、たくさんのピリピ教会の人たちの名前がいのちの書に記されていたことは間違いありません。

パウロの同労者たちがピリピ教会にいました。彼らは福音宣教の働きのために、人生を捧げていました。時間を捧げ、エネルギーを捧げ、お金を捧げていました。パウロと共に戦ったのです。そして、勝利者に贈られる冠が彼ら一人一人に天国で報いとして神から与えられます。

19世紀にアメリカで大活躍したチャールズ・フィニーという伝道者、リバイバリストがいましたが、彼にはダニエル・ナッシュという同労者がいました。彼はとりなしの祈りを通して、フィニーの働きを大いに助けたのです。ナッシュの古びた墓石にはこう刻まれています。「ダニエル・ナッシュ チャールズ・フィニーの祈りの同労者」 彼の名声は知られていませんが、チャールズ・フィニーによるリバイバルを生み出し、無数の人々に福音を伝えるために、神はダニエル・ナッシュを用いられたのです。今天にいるダニエル・ナッシュが、チャールズ・フィニーと同じ報いに預かっているでしょう。

チャールズ・フィニー(1792年-1875年)

ピリピ教会の人たちの名前は聖書に記されていません。しかし、迫害の中、パウロに協力して、命がけで福音宣教の働き、教会の働きをした人たちがいました。この地上では無名の人たちです。でも天では有名かもしれません。天使たちの話題に上っていたのではないでしょうか。「あの人の信仰は本当に素晴らしいね」と。そのようなピリピ教会にいたパウロの同労者たちは、パウロと同じような報いを天で神から受けていると思います。

私たちもこの地上で無名かもしれませんが、福音宣教と教会の働きを忠実にすることによって、天で神から報いを受けることができるでしょう。

私たちは主イエス・キリストにある者です。主にあって歩むこと、主イエスとの人格的な関係を更に築いていくことが大切です。そうすることで主イエス・キリストにあって、しっかりと立つことができますし、主イエス・キリストにあって一致することができます。

スポンサーリンク



投稿者:canaan

埼玉県で10年間&北海道で10年間牧師の働きをしました。現在は神奈川県の教会で協力牧師をしています。私自身が様々なことば(特に聖書のことば)で力づけられてきたので、希望に満ちたことばをお伝えしたいと願っています。I used to be a pastor in Saitama prefecture for 10 years and Hokkaido for 10 years. Now I am a cooperating pastor in Kanagawa prefecture. I myself have been empowered by various words(especially Bible ), so I would like to tell the hopeful words. 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA