前回の記事で私たちはキリストにあって霊的祝福をすでに受けているし、これからも受けることができることについて書きました(エペソ人への手紙 1:1-6)。祝福を受けるために私たちは父なる神に選ばれたのです。私たちが神を選んだのではなく、神がご計画をもって私たちを選んでくださいました。ご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです(エペソ1:5)。ガラテヤ人への手紙3:26には、あなたがたは、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。と書かれています。私たちは、イエス・キリストが自分の救い主であると信じることによって、その信仰によって神の子供とされています。
エペソ1:3-14で三位一体の神(父なる神、御子イエス・キリスト、聖霊)が賛美されています。原語のギリシャ語聖書ではここが一つの文で構成されていて、日本語聖書の訳のようには区切られていません。私たちが神の子となるように選んでくださったのが父なる神で、これは神のみ旨であり御心でした。
7 この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。8 この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、この方にあって神があらかじめお立てになったみむねによることであり、10 時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。11 この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。12 それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。13 この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。(エペソ人への手紙 1:7-14)
執筆中のパウロ
今日の箇所に入っていきますが、実際にこの父なる神のご計画を実行に移したのが、御子イエス・キリストでした。主イエスは十字架に架かって贖いをなしてくださったのです(7節)。「贖い」とは代価が支払われて奴隷状態から解放されることを意味します。イスラエルはかつてエジプトの奴隷状態から小羊の血によって解放されました。同様に私たちは、罪と悪魔に支配されている奴隷状態から、神の小羊であるイエス・キリストによって解放され、自由にされたのです。
贖いとは、身代わりになることです。私たちは自分で自分を贖うことができる存在ではありません。ですから、イエス・キリストが「血による贖い」をなしてくださいました。主イエスの十字架で流された血によって、私たちの罪が赦されました。私たちは罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによります。本来は罪人である私たちは、罪のゆえに、神に裁かれなければなりませんでした。しかし、イエス・キリストが私の罪の身代わりに十字架で死んでくださった。これが福音、良き知らせです。罪から来る報酬は死です。しかし、神がくださるのは、死に打ち勝ついのち、永遠のいのちです。
罪の赦しが与えられた私たちに、神の奥義が知らされています(9節)。それは、あらゆるものがイエス・キリストにあって、一つに集められる、ということです(10節)。今は、分断の時代と言われます。家庭、社会、国家において、争いがあり、分裂があり、敵対があります。しかし、世の終わりの時に、イエス・キリストにあって全てが一つにされます。キリストがかしらとなります。
この世界は、不和、不調和、不一致で満ちています。一つになることができません。家庭のような小さい単位でも、国家という大きな単位でもそうです。残念ながら教会とクリスチャンも一致できないでいます。ある人は、政治に期待するかもしれません。しかし、政治家はこの問題を解決することができません。なぜなら、人間には罪があり、不完全な存在だからです。二つのものを一つにする&調和と一致を与えることができるのは、イエス・キリストだけです。
主イエスは最後の晩餐で、弟子たちが一つとなるようにと祈られました。父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らが一つとなるためです(ヨハネの福音書 17:21)。
父なる神と御子イエスは完全に一つです。そのように一つになることが主イエスの願いです。キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし(エペソ人 2:14)とあります。ユダヤ人と異邦人が一つにされる時がきます。その時が近づいています。
罪の赦し、一つに集められる、に続いての霊的祝福が、「御国を受け継ぐ」ことです(11節)。私たちはアダムの子孫として、かつては、罪と呪い、死を受け継ぐ者でした(ローマ人への手紙 5:12)。しかし、最後のアダムであるイエス・キリストが来られて、その呪いを打ち砕いてくださったのです。
御国を受け継ぐ、これは、相続人とされている、ということです。ローマ人への手紙 8:17に、もし子どもであるなら、相続人でもあります。、、、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。と書かれています。私たちは神の子供とされています。ということは、相続人ということです。父なる神の持っているものを相続することができるという驚くべき祝福にあずかることができます。旧約時代、イスラエルの民が受け継ぐべき分は、約束の地であるカナンの地でした。これは目に見えるものです。新約時代、霊的イスラエルである私たち神の民が受け継ぐのは、天の御国です。天国です。
イエスと一緒に十字架につけられていた犯罪人は、最初イエスに対して悪口を言っていました。しかし、イエスの愛と憐れみに満ちた祈りを聞いたのです。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカの福音書23:24)この祈りを通して、彼はイエスを信じ、罪の赦しが与えられました。彼はイエスにお願いします。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」(ルカ 23:42)イエスは彼に約束されました。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ 23:43)彼はパラダイスへ行けたのです。御国を受け継ぐ者とされたのです。
イエスを信じる者の国籍は天にあります(ピリピ人への手紙 3:20)
しかし、御国は将来のことだけではありません。現在のことも含みます。イエスは「主の祈り」で、「御国が来ますように。」(マタイの福音書 6:10)と祈りなさいと弟子たちに命じました。御国とは神のご支配です。悪魔の支配が打ち砕かれ、天国の祝福が地に下り、神が治めてくださるように、神の平和(シャローム)を受け取ることができますようにと祈ることによって、癒し、健康、経済的な祝福、成功、勝利など、様々な祝福を受け取ることができると信じます。
3-6節で父なる神、7-12節で御子イエスを見てきましたが、13-14節で聖霊の働きを見ることができます。聖霊が、私たちが御国を受け継ぐことを保証してくださいます(14節)。ここで、「約束の聖霊によって証印を押されました」と記されていることは、婚約指輪を授けられたこととも言えます。聖霊ご自身が、将来、小羊であるイエス・キリストとの婚宴に招かれていることを私たちに保証してくださいました。聖書で、キリストが花婿、教会は花嫁と表現されています。その結婚式はまだ先ですけど、今すでに婚約をしている状態です。結婚が聖霊によって保証されているということです。
神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました(Ⅱコリント 1:22)。
今後の世界に対して、神のご計画があります。それはキリストにあって一つになること、一つに集められることです。分裂ではなく、一致することです。特に、異邦人とユダヤ人がです。
13節の「あなたがた」はエペソ教会の人たちのこと、異邦人クリスチャンのことです。それに対して、11,12節の「私たち」はパウロたちユダヤ人クリスチャンのことです。そして、14節の「私たち」はユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの両方、全キリスト者を指していると思います。
世界が始まる前からの神の選びに始まり、2000年前のイエス・キリストの十字架による贖い、そして来たるべき御国への聖霊による保証と続いてきました。三位一体の神が登場し、そして過去、現在、未来を扱う壮大なスケールで描かれている箇所だと思います。そして最後に、神の栄光がほめたたえられるためです、と終わっています。私たちは御国を受け継ぐ者とされています。これは素晴らしい霊的な祝福です。
スポンサーリンク