ピリピ人への手紙は、ピリピ教会からエパフロデトを通して贈られてきた献金へのお礼の意味合いが強かったと思います。
8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。10 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、このたびついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜びました。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。14 それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。15 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。16 テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。17 私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。18 私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたに贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。20 どうか、私たちの父なる神に御栄えがとこしえにありますように。アーメン。21 キリスト・イエスにある聖徒のひとりひとりに、よろしく伝えてください。私といっしょにいる兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。22 聖徒たち全員が、そして特に、カイザルの家に属する人々が、よろしくと言っています。23 どうか、主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。(ピリピ人への手紙 4:8-23)
ピリピ教会はパウロの宣教活動のために献金をして助けていました。献金の問題は大切です。なぜなら、献金は信仰の一つの表明になるからです。イエス・キリストの福音を信じると、福音が前進するために労をしている働き人を支えたいと願うようになります。神の願いは福音の前進拡大にあるので、主の恵みによって救われたことを心から感謝して、自分が捧げることを通して少しでも主の働きに貢献したいと願うわけです。
私が牧師をしていた埼玉の教会ですが、私が北海道に移った後、会堂を献堂しました。その報告を受けた時はとても嬉しかったです。数年前に、献堂式に招かれて行きましたが、その会堂を見て、神に心から感謝を捧げました。皆が犠牲を払い、献金を捧げました。なぜそれができたのでしょうか?彼らが教会を通して福音が前進して欲しいと強く願ったからです。
ピリピ教会はパウロの働きを献金を通して最初から支えていました。でも一時的にそれが途絶えていたようです(10節)。でもまた捧げる機会がよみがえってきたわけです。
パウロは乏しい中にあっても、どんな境遇にあっても満ち足りることを学んでいました(11節)。あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ていました(12節)。パウロは生活の問題、経済の問題に勝利していたのです。彼は神を信頼する信仰によって、また自分を強めてくださる主イエス・キリストによって、どんなことでもできます、経済的な問題をも乗り越えることができます、と告白しています(13節)。
順調な時、お金がある時は、信仰が大丈夫で、逆境になり、お金がなくなると、試練に耐えられなくなって信仰が弱くなってしまう人がいます。逆に、逆境の時、お金がない時は、神に助けを求めて信仰があるのに、順調な時、お金がある時は、神がいなくても自分だけでやっていけると思って、神と教会から離れてしまう人がいます。どちらのケースにも気を付ける必要があるわけです。
人生にはいい時も悪い時もあります。その全ての境遇に対処できることが信仰者には必要になってきます。私たちは、神を信頼する信仰によって乗り越えていくことができるはずです。それが勝利の生活です。乗り越えていく中で、私たちは神の豊かな恵みを体験することができます。
執筆中のパウロ
困難がなくて全てが順調にいく、お金がたくさんありお金に困らない、というようなことが本当の豊かさとは言えないのではないかと思います。それよりも使徒パウロのように「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。自分を強くしてくださるイエス・キリストによって、どんなことでもできるのです」と告白できる方が、真の豊かさなのではないでしょうか。彼は獄中にいて不自由で、お金がなく、逆境の状況にいましたが、それでもパウロは「主にあって」満ち足りていました(11節)。
金銭を愛する危険について使徒パウロは他の箇所で書いています。
6:6しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。 6:7私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。 6:8衣食があれば、それで満足すべきです。 6:9金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。 6:10金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。(Ⅰテモテ 6:6-9)
主イエスも言いました。6:19自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。 6:20自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。 6:21あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。(マタイ 6:19-21)
ピリピ教会はパウロと困難を分け合う教会でした(14節)。どのようにパウロと困難を共に分け合ったのでしょうか。パウロに心を留め祈ることを通して、そして献金を捧げることを通してです。ピリピ教会のことが他の手紙で紹介されています。
8:1さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。 8:2苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。 8:3私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、 8:4聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。 8:5そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。(Ⅱコリント 8:1-5)
エルサレム教会が飢饉のためもあり、経済的に困っていました。パウロはエルサレム教会の状況を知り、献金を呼びかけました。その時に応答してくれたのが、ピリピ教会やテサロニケ教会などのマケドニアの諸教会でした。
ピリピ教会はパウロの元へエパフロデトを遣わし、献金を届けました。その献金はパウロに贈られたものでしたが、それは神が喜んで受けてくださる供え物になりました(18節)。パウロは神の栄光のために、福音の前進のために働いていたので、パウロに贈られた献金は、神に捧げられたことになります。私たちが教会に捧げる献金は、同じように神に捧げられることになります。献金は礼拝の大事な要素です。私たちは礼拝で、神に賛美と感謝を捧げ、祈りを捧げ、神の言葉を聞き応答し、献金を捧げます。全てが大事で、神への礼拝・供え物になります。どれが欠けても不十分と言えるでしょう。献金は人に対してするものではなく、教会に対してするものでもありません。神に対してなされるものです。
ピリピ教会のように、神を第一にする神の子供たちの必要を、神は「栄光の富」をもって満たしてくださいます(19節)。主イエスも山上の垂訓で教えられました。 神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます(マタイの福音書6:33)。
神を栄光の富を持っておられます。それは経済的なものだけではないと思います。霊的な祝福、心の平安、生活に必要なものを主は私たちに与えてくださいます。なぜそのような祝福にあずかることができるのでしょうか。私たちが主イエスを信じて神の子供とされているからです。
4:6そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。 4:7ですから、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。(ガラテヤ人への手紙 4:6,7)神の子供とされた私たちは相続者にされています。神の子供として父なる神の祝福を受け継ぐことができるのです。何という驚くべき祝福でしょうか。
神は「栄光の富」をもって、天国にある祝福をもって、私たち一人ひとりの必要を満たし、教会の経済を満たしてくださいます。それは神の栄光が現れ、福音が前進拡大し、貧しい人々を助けるためです。ピリピ教会のように捧げる教会(私たち一人ひとり)となり、神の国の前進に貢献していきましょう。
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