私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。(新改訳聖書 ローマ人への手紙1章16,17節)
使徒パウロは、最初はキリスト教徒を迫害する者でしたが、ダマスコ途上で神が介入され、イエスに出会って人生が変えられました。「目からうろこ」が落ち、見えるようになったのです。パウロの人生にとってのターニング・ポイント(分岐点)でした。彼は今まで軽蔑していたイエス・キリストの福音を恥とはしなくなり、誇りと思うようになったのです。
福音は、信じる者に生きて働く神の力です。「力」と訳されている言葉は、原語のギリシャ語では「デュナミス」で、その言葉から英語のダイナマイト、ダイナミック(力強い、生き生きした、活力に満ちた)というような一連の言葉が派生しました。パウロはまさに世界を飛び回ってダイナミックな生き方をするようになりました。
福音は神の力だけでなく、神の義でもあります。福音のうちには、神の義が啓示されています。それは旧約聖書のハバクク書2章4節に「正しい人(義人)はその信仰によって生きる」と書いてある通りです。
「救いは行いによるのではない。ただ信仰による」これがマルチン・ルター(1483年 – 1546年)が宗教改革で強調したことです。
法律を学んでいたルターは、22歳の時、落雷に遭い、死の恐怖を経験します。それがきっかけで、ルターは修道士になります。
ルターは、修道院でたいへんまじめに祈りと聖書研究、断食に奉仕、そして清い生活に努めます。その結果早くも2年後には司祭に任じられて、ミサを執り行うようになります。しかし、非の打ちどころのない修道士としての生活をしていたものの、自分の内面を見て落ち込み、神の御前における罪に苦しみ、罪の告白によって懺悔をしても、神の御前に罪の赦しが得られたという確信が得られず、苦しみもがいていました。彼はキリスト抜きで自分の力によって罪を克服しようとして苦悩したのです。
そんなルターでしたが、勉学の方は順調で、29歳で神学博士となり、翌年からは聖書教授として旧約聖書を、更に3年後には新約聖書の講義を受け持つようになります。そして「ローマ人への手紙」の講義に際し、ルターはかねてより自分を不安に陥れていた「神の義」について熟考します。
マルチン・ルター(1483 年-1546年)
ルターが困惑したのは、「福音のうちには神の義が啓示されていて」(ローマ1:17)という聖書の言葉でした。ルターの経験と相反していたからです。ルターにとって「神の義」は、それを満たすために努力すればするほど、自分自身のうちにある罪の性質がクローズアップされ苦しめられるものでした。しかし、続く「義人は信仰によって生きる」(ローマ1:17)という聖書の言葉に注目しました。義人とは、自分の義によって生きる人ではなく、信仰によって生きる人、すなわち神が義と認めてくださったことに感謝して生きる人、であると考えます。ルターは、神の恵みにより、イエス・キリストの十字架によってすでに備えられていた「神の義」に気づきます。福音のうちに啓示されている「神の義」を正しく理解したとき、ルターは彼を苦しめていた罪の問題が解決され、完全な救いを喜ぶことができました。すでに聖書(パウロの手紙)の中に啓示されていた福音を再発見したのです。これは大いなる福音で、この福音は神の力であり、福音のうちに神の義が啓示されています。
そしてルターは当時の堕落していたカトリック教会とローマ教皇の教えに反し、「救いは行いによるのではない。ただ信仰による」と対抗(プロテスト)し、1517年に世界史においてもとても重要な宗教改革が起こりました。
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