悪魔に対する勝利 コロサイ人への手紙 2:8-15(聖書)

8 あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。9 キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。10 そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。11 キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。12 あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。13 あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、14 いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。15 神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。(コロサイ人への手紙 2:8-15)

8節にだましごとの哲学に「注意しなさい」とあります。知識中心&人間中心主義のギリシャ哲学に気を付けなさいと使徒パウロは書いています。真の知識、真の知恵はイエス・キリストのうちにあります(2:3)。現代で言えば、世俗的ヒューマニズムでしょう。それらによくよく注意しなければなりません。それは世俗的な主要メディアを通して常に流されている思想です。このことは一番最初、アダムとエバに起こったことでした。悪魔が彼らに現れて、神が食べてはいけないと命じていた「善悪の知識の木」の実を彼らは食べました。神の判断(神からくる知識)ではなく、自分たちの判断に従う、自分で何が善であり悪であるかを決めるという選択をしたわけです。そのことの一番魅力的な点は何かと言えば、あなたも「神のようになれる」という言葉です。その魅力にアダムとエバはとりこになってしまって、罪を犯してしまいました。これは現代でもそうです。この世では、「あなたも神のようになれる」というメッセージで溢れています。これらの教えは、聖書のメッセージ、神のメッセージではありません。それは、「キリストによるものではありません」(8節)真の知識と知恵はイエス・キリストのうちにあります(2:3)

イエス・キリストの福音は私たちに「罪に対する勝利」を与えてくださいます。本来、私たちは「債務証書」によって責め立てられているわけですが、主イエスはどうしてくださったのでしょうか。無効にしてくださったのです(14節a)。債務証書とは一言で言えば、「借金」です。罪の借金が溜まりに溜まって、返すことができない。どうしようもない状態、これが人間の姿です。決して自分では返すことができない。それほどに借金(罪)が膨れ上がってしまったわけです。イエスはその私たちの借金を代わりに全て支払ってくださったのです。そして、その証書(罪)を十字架にくぎ付けにされました(14節b)。これは支払いが終わった証書に穴が開けられて処理されたということです。もう完済した。完全に支払われた。霊的に死んでいたのが、キリストにあって生きた者にされた。罪が全て赦されたのです(13節)。

イエス・キリストは罪に対して勝利されました。それだけではありません。もう一つは「死に対する勝利」です。復活を通して、よみがえりを通して、死を打ち破られたのです。私たちには主イエスを信じる信仰によっていのちが与えられています。死に打ち勝ついのち、永遠のいのちが与えられています。

イエス・キリストは全ての支配と権威のかしらです(10節)。主イエスは全てを治めておられ、「悪魔に対しても勝利」されています。相手の武装を解除して、さらしものとし、捕虜として凱旋の行列に加えられました(15節)。イエスは敗北した敵から武器を奪い取り、悪魔と悪霊どもを捕虜として、自分たちの凱旋(勝利)の行列、行進に入れたわけです。

イエス・キリストは勝利者です。罪に対する勝利者、死に対する勝利者、そして悪魔に対する勝利者です。

私たちも、イエス・キリストにあって、勝利者になることができます。教会とは何でしょうか?教会は「キリストのからだ」です。頭(かしら)がイエス・キリスト、体(からだ)が教会(私たちクリスチャン)です。キリストと教会は一つです。教会は主イエスの命令と指示に従います。特に大宣教命令「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」(マルコの福音書 16:15)に従うことが重要です。

そして、教会は「キリストの軍隊」です。決して敵は人ではありません。背後に働いている悪魔と悪霊です。私たちはキリスト教の異端に注意しなければなりませんが、異端との戦いは霊的な戦いです。これは真理と偽りの戦いです。神と悪魔の戦いです。イエス・キリストは真理です。主イエス様はおっしゃいました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネの福音書14:6)

現在、この瞬間も、目に見えない世界で霊的な戦いが繰り広げられています。悪魔は働いています。もちろん神も働いておられます。悪魔の策略に立ち向かうために必要なものは、「神の武具」です。何も持たないで戦いに行く人はいないでしょう。私たちにも「神の武具」が必要です。神が悪魔に勝利するために備えてくださっている武具を見ていきましょう。

エペソ人への手紙6章12節~18節にはこのように書かれています。12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、15 足には平和の福音の備えをはきなさい。16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

ここに7つの武器が出てきます。

真理の帯 

これは戦いへの備えと言えます。気を引き締めます。柔道でも帯を締める時に、気が引き締まるでしょう。平和ボケしないで、今戦いの真っ只中にあることを思い起こします。

悪魔は偽りの父です。またこの世の中は偽りで溢れています。異端の教えがあり、世俗的ヒューマニズムなど、あらゆる種類の偽りのメッセージが流れてきます。テレビを通して、インターネットを通して。神の言葉を疑わせようとしてきます。「神は本当に言われたのですか」(創世記3:1)と。そのようにして悪魔はアダムとエバを偽りへと引っ張っていくことに成功したわけです。ですから、真理であられるイエス・キリストの中に留まり続けることが大事です。

正義の胸当て

心臓(心)を守ることです。力の限り、見張って、あなたの心を見守れ(箴言4:23)とあります。イエス・キリストにあって、義と認められていることを覚えることが大切です。悪魔は私たちの罪を告発してきます。でも心を守ることを通して、セルフイメージが低くならないようにすることです。周りの人々がいろいろなことを言い、心を折ろうと攻めてくる場合があります。でもとにかく心を守ることです。イエス・キリストにある正義(義)に頼っていきましょう。

福音の靴をはく(平和の福音の備え)

福音は平和をもたらします。しかし、敵は争いを起こさせます。方法はいつも同じです。相手は間違っていて、自分だけが正しいと主張します。その背後に悪魔がいることを覚えなければなりません。異端に注意する時と似ています。あるクリスチャンは自分の教理と違うと、ほかの人に異端のレッテルを貼りたがります。同じように、自分の考えだけが正しい、自分の意見に従わない人を責めることによって争いが起こります。その原因はどこからくるのでしょうか。高ぶり、人を裁く心からきます。イエス・キリストは平和の君です。私たちはかつて悪魔に支配されていましたが、今はイエスを通して、神と和解し、和解の使者にされています。私たちの足が悪魔の頭を踏み砕きます。平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます(ローマ人への手紙16:20)。

信仰の大盾

不信仰の霊が働いています。様々な種類の火矢が私たちに向かって飛んできます。悪い言葉、不信仰の言葉、否定的な言葉が飛んできます。そこで大事になってくるのが信仰です。何があっても神を信頼することによって、解決が与えられると信じていきましょう。

救いのかぶと

悪魔は告発してきます。「あなたは不十分である、あなたにはこんな問題がある」と。そのような告発に屈して救いの確信と喜びを失ってはいけません。救いのかぶと、十字架の救いが完全であるという事実を思い出すことによって、私たちは守られます。

御霊の与える剣(神の言葉)

聖霊の働きに敏感になることがこの終わりの時代、非常に大切です。鈍感であってはいけません、否定的、かたくなであってはいけません。今までは守りの武器でしたが、剣は攻撃の武器です。イエス・キリストも悪魔の誘惑を受けられた時に、「聖書にはこのように書かれている」と宣言して敵の攻撃を退けられました。毎日、神の言葉を受け取ることです。神の言葉と聖霊の力によって、私たちは悪魔に勝利することができます。

祈り

神の言葉を受け取ったら、次は祈ります。祈りは天と地をつなぎます。全知全能の神に祈ることができるというのは、クリスチャンに与えられている驚くべき特権です。祈りという武器を用いていきましょう。

私たちは、イエス・キリストによって、すでに悪魔に勝利しています。これは変わりません。しかし、日々戦いがあるのも事実です。悪魔は様々な方法を通して、策略を用いて働いてきます。神は私たちが勝利できるように「神の武具」を備えてくださっているので、上に挙げた7つの武具を用いて悪魔に勝利していきましょう。

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投稿者:canaan

埼玉県で10年間&北海道で10年間牧師の働きをしました。現在は神奈川県の教会で協力牧師をしています。私自身が様々なことば(特に聖書のことば)で力づけられてきたので、希望に満ちたことばをお伝えしたいと願っています。I used to be a pastor in Saitama prefecture for 10 years and Hokkaido for 10 years. Now I am a cooperating pastor in Kanagawa prefecture. I myself have been empowered by various words(especially Bible ), so I would like to tell the hopeful words. 

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