群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。(新改訳聖書 マタイの福音書14章23節)
明治大学文学部教授の齊藤孝氏は「孤独のチカラ」という本でこのように書いています。「私には《暗黒の十年》がある。それは受験に失敗した十八歳から、大学に職を得る三十二歳までに体験した壮絶な孤独の年月である。しかし、人生のうちで孤独を徹底的に掘り下げ過去の偉人たちと地下水脈でつながる時間は、成長への通過儀礼だ。孤独をクリエイティブに変換する単独者のみ、到達できる地点は必ず存在する」と。
イエスは群衆を教えたり助けたりした後、祈るために一人で山に登られました。山などの自然は神を身近に感じやすい場所だと思います。なぜなら、ビルなどは人間が造ったものですが、山や海などの自然は神が創ったものだからです。イエスはご自身を隠されました。イエスの生涯の特徴は孤独の時間を大切にされたことにあります。
一方、私たち現代人は孤独を嫌う傾向にあると思います。人と群れることを求めているのではないでしょうか。SNS(Social Networking Service・ソーシャル ネットワーキング サービス)で人と繋がることを望んでいます。メールの返事がすぐに来ないと拒絶されたと感じ、不安を覚え、苦しむのです。孤独になることを嫌いすぎると、他者に期待したり、他者に依存してしまうことになるでしょう。群れることだけに満足していては、自立していくことは難しくなります。積極的孤独(ソリテュード・一人でいる時間を大切にすること)は、内的成長へつながっていくと思います。
イエスは祈ることによって父なる神と交わりを持ちました。イエスは当時超有名人でしたし、群衆からは称賛を受け、多くの弟子たちがいたので、もてはやされることもできたと思いますが、それを避けてイエスは積極的に一人になったのです。単独者として歩むことを選び取りました。人の評価を過度に気にすることなく、単独者として一人で歩むことが重要だと感じます。周りを気にし過ぎると自分を見失い、流されてしまう生き方になってしまうからです。他人と比較するだけの人生は劣等感を与え、窮屈な生き方を強いることになってしまうでしょう。一人で有益な時間を過ごすこと、単独者で生きることは、その人にイマジネーション(想像性)を与え、その人独自のユニークさに気づかせ、神との出会いを開くでしょう。イエスは一人でいることを通して、祈りを持って神と会話したのです。そのような人の目から隠れた一人で過ごす孤独の時間が、イエスの教えと働きに力を与え、これほどの影響を現在でも全世界に及ぼしているのです。
ドイツの神学者ディートリヒ・ボンヘッファーは、「共に生きる生活」で「ひとりでいることのできない者は、交わりにはいることを用心せよ」と書いています。一人でいることのできない人は傷つきやすく、そして人を傷つけてしまう傾向にあるからだと思います。ですから孤独であることに満足を覚え、単独者であることに自信を持つことによって、真の交わり(人との健全な関わり方)ができるようになるのではないでしょうか。
人と群れることで疲れている現代人に必要なのは、積極的に一人になる時間を持つことによって、日々追い立てられているものから自由になり、神について黙想し、自分自身の人生を取り戻すことではないでしょうか。コロナウィルスによって、比較的いつもより家で過ごす時間が多い今はチャンスだと思います。
スポンサーリンク