ロシアがウクライナを侵攻し始まった戦争ですが、戦争が終わる気配はありません。私たちは戦争が一日も早く終結するように祈らなければなりません。昨年の8月30日に旧ソビエト連邦最後の大統領であったミハイル・ゴルバチョフが亡くなりました。ゴルバチョフは1989年にアメリカとの冷戦を終結させると宣言し、1990年にはノーベル平和賞を受賞しました。この時、世界終末時計は4分も巻き戻され、世の終わりまであと10分とされました。この世界終末時計は、核戦争などによる人類の絶滅を「午前0時」になぞらえ、その終末までの残り時間を「0時まであと何分」という形で象徴的に示すものです。冷戦が終結した1991年には17分前になりました。しかし、現在、世界終末時計は大きく進み、人類滅亡まで1分30秒と発表されています。
そのような状況の中で私たちはどのように祈るべきでしょうか。聖書にこのように書かれています。2 目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。3 同時に、私たちのためにも、神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように、祈ってください。この奥義のために、私は牢に入れられています。4 また、私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、はっきり語れるように、祈ってください。5 外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。6 あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。(コロサイ人への手紙 4:2-6)
①目を覚まして祈る(2節)
今の時代は世の終わりのしるしを見ることができます。最大のしるしはイスラエル建国であると言えます。イエス・キリストの預言の通り、イスラエルは紀元70年に滅亡し、イスラエルの民は世界中に離散し、流浪の民となりました。それが約1900年続きましたが、彼らは民族のアイデンティティを失うことがありませんでした。これは奇跡です。そして、何と1948年にイスラエルが再建されたのです。聖書の記述の中で世の終わりにイスラエルが登場していますが、100年ぐらい前まではイスラエルという国がなかったので、聖書の言葉に現実味がないと考える人がたくさんいました。しかし、今は違います。イスラエルという国家が再び誕生したことによって、歴史は大きく動き出しています。世界中からユダヤ人たちがイスラエルへ帰還することも預言されていますが、それが現在進行形で起こっています。
そして今、ロシアがウクライナを侵攻していますが、ロシアが世の終わりにイスラエルを攻めることが旧約聖書のエゼキエル書38章に預言されています。ここに登場するゴグは現在のロシアです。その時にペルシャ、今のイランも同盟国として挙げられています。イランはイスラエルを滅ぼすと公言している国です。イスラエルが建国され、ロシアが他の国を攻めることを証明し、イランがイスラエルを滅ぼそうとしている今の状況に当てはめると、いつこれらのことが起こってもおかしくないということが分かります。エゼキエル書が今から2600年前に書かれていたということは驚きです。いよいよ世界の終わりが近づいているのではないかと感じます。だから、私たちは目をさましていなければなりません。
イエス・キリストが十字架に架かる直前にゲツセマネでお祈りをしましたが、弟子たちに共に心を合わせて祈って欲しいと願い、彼らに言いました。「目をさましていなさい」(マルコの福音書 14:34)しかし、弟子たちはどうだったでしょうか。彼らは眠ってしまったのです。どんなに主イエスは悲しく、孤独を味わったことでしょう。
「ゲツセマネの祈り」/ジョヴァンニ・ベッリーニ作
今は、世の終わりの時代であり、天におられるイエスは大祭司として祈っておられますが、現代の弟子たち(私たち)にも心を合わせて祈ってもらいたいとイエスは願っていると思います。イエスは寝てしまった弟子たちに言われました。「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。」(マルコ 14:38)
私たちは霊的な目を覚ましていなければなりません。今がどのような時代であるかを知る必要があります。現代を生きるのに必要なスキルの一つは、霊的な洞察力です。この世はそれを教えてくれません。世はそれを知りません。しかし、私たちは聖書を通して、神の言葉を通して、知ることができます。それが真の知識です。
また実際の目も覚ます必要があります。私の場合は、早朝祈る前にコーヒーを飲みます。また歩きながら祈ります。眠らないためです。そして、たゆみなく祈ることも大事です。あきらめずに、粘り強く祈り続ける、ということです。
祈りがなかなか応えられないと言って、あきらめてはいけません。なぜなら、今日の祈りが、これから捧げる祈りが、天の扉が開かれる最後の一撃になるかもしれないからです。ペンテコステの前に弟子たちは10日間祈り、聖霊が注がれました。でも、一週間は祈ったけど、8,9日でやめて、祈り会から離脱した人がきっといたでしょう。でもあと一日祈り会に参加し続けたら、同じようにペンテコステを体験できたのに、ある人々はその時に聖霊のみわざを体験することができなかったのです。
私たちも長いクリスチャン生活&教会生活をしていると、礼拝が単調に感じてくる、祈りに手ごたえがない、そのような時があるものです。でもその時にこそ、礼拝出席をやめない、祈りをやめないことが大切です。なぜなら、私たちは、いつ世の終わりが来るか、いつイエス・キリストの再臨があるか、いつリバイバルが来るか、いつ聖霊の訪れがあるかを知らないからです。今年の2月8日にアメリカのケンタッキー州にあるアズベリー大学で突然リバイバルが起こりましたが、まさにいつ聖霊が働かれるか私たちには分からないので、いつも準備しておくことと祈り続けることが大切だと思わされます。
②とりなしの祈り(3節)
使徒パウロは「門を開いてくださるように祈ってください」とコロサイ教会にお願いします(3節)。パウロは祈りの力を信じていました。だから祈りを教会に要請したのです。私たちも様々な働き人たちのために祈りましょう。祈りを通して世界宣教に参加することができます。
終末の一つのしるしは、世界宣教の完成です。今急速に聖書翻訳が進んでいます。ウィクリフの人たちが聖書を訳しています。尊い働きです。また未伝地への伝道が進んでいます。このような働きのために私たちは祈ることができます。
祈りを通して、様々な伝道の門が開かれると信じましょう。開かれたなら私たちも大胆に福音を語ることができるように祈りましょう。
③伝道(6節)
主イエスは仰いました。「あなたがたは、地の塩です。」(マタイの福音書 5:13)塩は料理に欠かせないものです。塩で味付けをして、料理は美味しくなります。一人一人の人生がユニークです。これまで様々なことを体験されたと思います。それらは全て生かされます。イエス・キリストの福音をシンプルに大胆に語ることももちろん重要です。
同時に自分の証しを用意しておくことを私はお勧めしたいと思います。なぜなら、福音のメッセージは否定されることがありますが、あなたの証しは否定されることはないからです。あなたが実際に体験したことを誰が否定することができるでしょうか。パウロのように証しが劇的である必要はありません。
でも分かりやすくするために、Before Afterを意識して、「イエス・キリストを信じる前の自分はどうだったか⇒イエス・キリストをどのように信じたか⇒イエス・キリストを信じてどのように変わったか」という流れで話すと良いと思います。私の場合は、「死の恐れに捕らわれていた⇒死を打ち破られた復活のイエス・キリストを信じた(ヨハネの福音書 11:25)⇒死の恐れがなくなり、解放された」という流れで話すようにしています。
あとはトラクトを持ち歩くことです。鞄の中に入れておきましょう。私は何かきっかけがあったらトラクトを渡すようにしてします。それがどのように用いられるか分からないからです。このような証しを聞いたことがあります。その人はチラシを受け取って、興味がなくその時に読んでいた本にはさんだそうです。そのまま忘れ去られましたが、それから10年後くらいでしょうか、引っ越しのため本を整理している時にそのチラシを見ました。10年前とはその人も状況が変わり、人生に悩んでいました。そして思い切ってチラシに書かれてあったその教会へ行き、イエス・キリストを信じて救われたのです。ハレルヤ!
クリスチャンにとって大切なことは何でしょうか。礼拝が一番です。でも他に祈りと伝道が大事であることを覚えたいと思います。特に世の終わりの時代に生かされている私たちにとって祈りと伝道は大切です。この二つの働きをして欲しいと主イエスは私たちに願っておられます。聖霊の助けによって、応答していきましょう。
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