やっぱり目の前で困っている人を見捨てるわけにはいきませんよね。(中村哲)
アフガニスタンで援助活動をしていた医師の中村哲さんが銃撃されて亡くなってから昨日(12月4日)で一年が経ちました。
中村さんは後半生(38歳~73歳)を外国で過ごしました。15年間医師として南アジアのパキスタンやアフガニスタンでハンセン病やその他の感染病に携わりました。転機が訪れたのが2000年にアフガニスタンを襲った大干ばつでした。その時に水の重要性を痛感され、医療よりも前に解決する問題があると思い、独学で土木を学び、井戸掘りを始めました。そして現地の人々の協力を得ながらたくさんの井戸を掘り、生きるために欠かせない飲める水を提供し、多くの人々の生活を改善しました。
「100の診療所よりも1本の用水路」が必要であると感じた中村さんは、医師でありながらも独学で新たに違う分野の学びをされました。それは今、目の前にいる人を助けたいという強い願いからきたものでした。ここに愛の実践を見ることができます。キリスト者であった中村さんの模範はイエス・キリストであったと思います。
中村哲(1946年-2019年) |
イエスはこのように言われました。「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(新改訳聖書 マタイの福音書25章40節)
この実践は具体的にはどのような行動のことを言っているのでしょうか。前の35,36節を見ると分かります。このように書かれています。「あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。」
このイエスの言葉から衣食住に困っている人たちを助けることの重要性が分かります。また病人を見舞うこと、福音を語ったために無実なのに牢獄に入れられている人や自由のために戦って不当にも牢に入れられている人を訪ねることもとても大切です。ここに記されている「食・住・衣・健康・自由」の5つは人間の基本的人権に関係していると言えます。
アフガニスタンの貧しい人たちは、中村さんにとって「最も小さい人たち」だったのではないでしょうか。イエスは最も身分の低い人たち&最も貧しい人たちや抑圧されている人たち&迫害されている人たちの中に身を隠して存在されているということでしょう。
アフガニスタンに住んでいる人々を愛し、貧しい人々の生活や暮らしの礎を築きました。中村さんは「水路一つが医者何百人分の働きをする」という言葉を残していますが、飲み水に困らない生活をおくることが、何よりも病気を予防することになると強く感じていたとのことです。
7年の歳月をかけて用水路を完成させ、今では65万人を超える人々の生活を支えています。これらの功績が認められ、中村さんは国内外で数々の賞を受賞し、アフガニスタンでは国家勲章も受章しました。そのように志が高く、愛のわざを実践されていた方が理不尽にも銃撃によって亡くなったのは非常に残念です。
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