創世記5章には、アダムから七代目のエノクが、神と共に歩んだと書かれています。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった(創世記5:24)。彼は死を経験しないで、天に移されました。信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました(へブル人への手紙11:5)。ところが同じくアダムから七代目にあたるレメクは、全く違った道に落ち込んでしまったのです。
17 カインはその妻を知った。彼女はみごもり、エノクを産んだ。カインは町を建てていたので、自分の子の名にちなんで、その町にエノクという名をつけた。18 エノクにはイラデが生まれた。イラデにはメフヤエルが生まれ、メフヤエルにはメトシャエルが生まれ、メトシャエルにはレメクが生まれた。19 レメクはふたりの妻をめとった。ひとりの名はアダ、他のひとりの名はツィラであった。20 アダはヤバルを産んだ。ヤバルは天幕に住む者、家畜を飼う者の先祖となった。21 その弟の名はユバルであった。彼は立琴と笛を巧みに奏するすべての者の先祖となった。22 ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅と鉄のあらゆる用具の鍛冶屋であった。トバル・カインの妹は、ナアマであった。23 さて、レメクはその妻たちに言った。「アダとツィラよ。私の声を聞け。レメクの妻たちよ。私の言うことに耳を傾けよ。私の受けた傷のためには、ひとりの人を、私の受けた打ち傷のためには、ひとりの若者を殺した。24 カインに七倍の復讐があれば、レメクには七十七倍。」(創世記4:17-24)
アダムより七代目の一人は神と共に歩み、もう一人は悪魔の奴隷になりました。元々は同じ先祖でしたが、七代目になると天と地ほどの差が生まれたのです。アダムの長子カインは、神の御前にへりくだることをせず、自らの義に立とうとして神に拒まれました。彼はそれに納得がいかず憤り、弟アベルを殺しました。このカインから出たレメクは、家庭生活の原則(創世記2:24 それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである)を破って、二人の妻をめとったのです(19節)。
この一夫多妻の家庭に4人の子供が生まれました。彼らは牧畜業(20節)と音楽家(21節)と鍛冶屋(22節)に分業して生活を営みました。これは神なき文明の始まりです。分業自体が悪いのではなく、牧畜、音楽、鍛冶そのものが悪いのでもありません。主を賛美する音楽は神に心を向けさせ、神の栄光を現わします。しかし、ある音楽はその歌詞によって人を罪に誘惑し、罪に陥れます。青銅と鉄の用具もうまく利用すれば良いと思いますが、悪用すれば人を傷つけ、また人を殺す道具になってしまいます。レメクの子供たちの問題は、主の御名によって祈ることをしないで、自分たち中心に生きていたことでした。神の定めた家庭の原則を破ったレメクには、子供たちを正しく教える資格も力もありませんでした。それがやがてはノアの洪水を招くことになってしまうのです(創世記6-9章)。自分が蒔いた種は刈り取ることになるということです。
思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。(ガラテヤ人への手紙6:7-9)
23-24節のレメクの詩は、歴史上最初の詩ですが、これは一夫多妻の詩であり、憎悪と復讐の詩であり、殺人の詩です。ある聖書学者は「おそらくこの詩の作者レメクは、他人の愛人を奪って、自分の妻としたのだろう、そこで愛人を奪われた若者がレメクを殺そうとしたので、レメクは復讐心に燃えてその若者を殺したのだろう」と書いています。これが人類の姿です。このように犯罪と殺人を繰り返し、破滅と滅亡の道を歩み、また歩み続けようとしているのです。神様がこの世界を憐れんでくださいますように。
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