天地創造は西洋美術で人気があったテーマで、多くの芸術家が挑戦しました。おそらく世界で一番有名なのはミケランジェロが描いたバチカン市国にある「システィーナ礼拝堂」の天井画でしょう。私も直接見ましたが、とても圧倒され感動したのを覚えています。
神は三日目に創造された陸地に、動物と人間を創造されました。これが天地創造の六日目に起こったことです。六日目の前半に地上の動物が造られ、六日目の後半に人間が創られました。神は人を「われわれのかたちとして」、「われわれに似せて」(26節)と書かれているように、「神のかたち」として創造されたのです。われわれと複数形になっているのは、この神が三位一体の神であることを表しています。父なる神、子なる神イエス・キリスト、聖霊なる神です。
聖書にはこのように記述されています。
24 神は仰せられた。「地が、種類にしたがって、生き物を生ぜよ。家畜や、はうもの、野の獣を、種類にしたがって。」そのようになった。25 神は、種類にしたがって野の獣を、種類にしたがって家畜を、種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神はそれを見て良しとされた。26 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」29 神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。30 また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」31 神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。(新改訳聖書 創世記1章24-31節)
人が造られた目的の一つは、「すべての生き物を支配すること」(26節)でした。天使たちは、神の御心を知ることができても、肉体がないので被造物を治めることはできませんでした。また獣の中で巨大なものや強いものはいましたが、神のかたちに似せて造られていないので、神の代行者として全てのものを支配する資格がありませんでした。創世記1章25節の段階では、生き物全体を統治する者がいなかったのです。その役割が人間に与えられました。しかし支配するということは、人間が動物を倒し食べることを意味していませんでした。この段階では、動物たちも争うことがなく、弱肉強食のない時代だったのです。彼らの食物は、他の動物の肉ではなく、緑の草でした(30節)。今の地上の姿からはとても信じられないほど平和な世界だったわけです。
ミケランジェロの天井画「天地創造」は壮大なスケールで描かれていますが、その中でも特に有名なのが「アダムの創造」です。アダムは人類で最初の人間です。27節での男と女はアダムとエバのことです。この絵では、神が手を伸ばし、その指先が今まさにアダムの指に触れて命を注ごうとしているような描き方になっています。スピルバーグ監督の『E.T』にも使われたシーンとして有名です。
「ご自身のかたちとして」、「神のかたちとして」(27節)とはどのようなかたちでしょうか。人間は土地のちり(物質、創世記2:7)で肉体を造られ、その鼻にいのちの息(神の霊、創世記2:7)を吹き込まれました。内なる霊においては神に通じていました。これが他の動物とは決定的に違う点です。また外なる体においては他の被造物に通じ、天と地との仲介をなす神の代理者として(神のかたちとして)の役割が与えられました。
神は祝福して人間に仰せられました。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。」(28節)と。ここでの祝福とは神による繁殖であり、成長です。神は人を男と女に創造しました。結婚して子を産むことは、神の御心です。また霊的な子孫を生むこと、すなわち人がイエスを信じて神の子供となること、新しく生まれること(新生)は神の願いです。イエスは言われました。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコの福音書16:15) これは霊的子孫を繁殖させる命令です。
人間を創造された後、神が世界をご覧になられると、それは非常に良いものでした(31節)。それまではただ「良しとされた」という表現でしたが、ここでは「非常に良かった」と表現されています。被造の世界は、「非常に良かった」という状態から始まっています。神は完璧でとても良い世界を創造されましたが、それを今のように悪くしてしまったのは人間の罪のゆえです(創世記3章)。
人間は神にとって昔も今も特別な存在です。私たちは幸いにも微生物や昆虫、魚や鳥、獣としては誕生しませんでした。「神のかたち」を持つ人間として誕生したのです。動物ではなく人間として生まれたことに心から感謝しようではありませんか。
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