6 神は仰せられた。「大空が水の真っただ中にあれ。水と水との間に区別があれ。」7 神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを区別された。そのようになった。8 神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。9 神は仰せられた。「天の下の水が一所に集まれ。かわいた所が現れよ。」そのようになった。10 神はかわいた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神はそれを見て良しとされた。11 神は仰せられた。「地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある身を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ。」そのようになった。12 地は植物、すなわち種を生じる草を、種類にしたがって、またその中に種がある実を結ぶ木を、種類にしたがって生じさせた。神はそれを見て良しとされた。13 夕があり、朝があった。第三日。(新改訳聖書 創世記1章6-13節)
天地創造第一日目の神のみわざは「光と闇の分離」でしたが、第二日目のみわざは「天と地の分離」でした。創世記1章2節において「地は茫漠として何もありません」でした。そこに光が現れ、光と闇、昼と夜が分けられたのです。そして二日目に水と水が分けられ、形が全くなかった地から天が分離され確立されました。
「神は大空を造り」(7節)と書かれていますが、創世記1章1節の「神が天と地を創造した」がヘブル語で無からの創造を意味する「バーラー」が使われているのに対して、この7節ではすでに存在する素材で他のものを造る時に用いられる「アーサー」が使われています。7節で「下の水」が先に記され、「上の水」が後に記されているのは、この創世記が地球中心、人間中心に描かれているからだと思います。
六日間にわたる神の創造のみわざは、その進展に伴い繰り返し「神はそれを見て良しとされた」と書かれています(1章4節、10節、12節、18節、21節、25節)。そして最後に人間が創られた時には、「それは非常に良かった」(31節)と絶賛されています。ところがこの第二日目では、水と水とを分けられ、大空を天と名づけられましたが、「良しとされた」とは書かれていません。天と地を分ける働き、水を区別する働きが、まだこの段階では完了していないことを意味するのだと思います。
第二日の水と水を区別するわざは第三日目に完了します(10節)。第三日目の神の働きは、まず地を陸と海に分離することでした。人間は海を生活のために利用しますが、生活の場は基本的には陸上です。これらの分離によって、天と地と海という形が整いました。そして8節で宣言されなかった第二の「良し」を神はここで宣言されました(10節)。
第一日は「光とやみとの分離」、第二日は「天と地との分離」、第三日は「陸と海との分離」でした。第二日は天と地との分離のみでしたが、第三日は陸と海との分離だけにとどまらず、その陸上に植物を生じさせました。最初の三つのわざによって世界の基盤が据えられましたが、これに続くのが生き物の創造です。世界は生き物のために創造されたのであり、したがって世界に生き物が神によって生み出されます。生き物の創造は、植物、動物、人間という三つの段階を通して実現します。
神は人間と動物が住むことのできる地を形造られ、そして人間と動物の食糧になる植物を備えられました。11節は口語訳聖書の訳が、区分が明快で分かりやすいと思います。「地は青草と、種を持つ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ。 この時点(創世記1章)では、人間の食物として与えられていたのは、種を持つ草と種のある実を結ぶ果樹でした(創世記1章29節)。動物を殺し、食べることはありませんでした。それが許されたのは、ノアの洪水の後です(創世記9章1-3節)。また動物が動物を殺し、食べることもありませんでした。動物の食物は青草でした(創世記1章30節)。
神は人間と動物の食糧として植物を用意しておられましたが、人間の罪(創世記3章)によってその秩序は壊れてしまいました。しかし、その回復はイエス・キリストの再臨後、キリストがこの地上を統治する千年王国においてもたらされます。その時、弱肉強食の時代は終わります。人間にとっても動物にとっても平和で住みやすい世界になるのです。それは本来のエデンの園のようです。イザヤ書11章6-9節にこのように記されています。
6 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。7 雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。8 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。9 わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。
何という平和でしょうか。人間と動物の共存、肉食動物と草食動物の共存。これが神が創造した世界の本来の姿なのです。イザヤ書65章17-25節にも千年王国の描写がありますので見ましょう。
17 「見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。18 だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。19 わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。20 そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。21 彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。22 彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。23 彼らはむだに労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは主に祝福された者のすえであり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。24 彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。25 狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食い、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない」と主は仰せられる
私たちにはここに描かれている神が回復してくださる世界で暮らすことができる希望があります。
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