するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。(新改訳聖書 使徒の働き9章18節)
サウロ(後のパウロ)の人生にターニング・ポイントがありました。そのことは、「目からうろこ」という言葉からも窺い知ることができます。サウロは目が見えなくなってしまいましたが、目が見えるようになり、霊的な目も開かれたのです。
「目から鱗(うろこ)」とは、今まで分からなかったことが急に理解できるようになることを意味する言葉です。元々は聖書の言葉ですが、ことわざなどで使われるようになりました。
サウロはそれまでキリスト教徒を迫害する者でした。しかし、ダマスコ途上で天からのまばゆい光が彼を照らし、彼は地に倒れて「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞きました。彼が「主よ。あなたはどなたですか」と言うと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」という答えがありました。彼が迫害していたのはキリスト教徒であり教会でした。しかし、イエスは「あなたが迫害しているのはわたしである」と言われたのです。
サウロは地面から立ち上がりましたが、目は開いていても何も見えませんでした。アナ二ヤという人がサウロの元へ神から遣わされてサウロの上に手を置いて祈ると、サウロの「目からうろこ」のような物が落ちて目が見えるようになりました(使徒の働き9章1~18節)
「パウロの回心」/1631年 ピエトロ・ダ・コルトーナ(イタリアの画家)作
この出来事がサウロを全く変えてしまいました。彼は今まで分からなかったことが、急に理解できるようになったのです。彼の人生においてターニング・ポイント(分岐点)になりました。キリスト教を迫害する者が、イエス・キリストを伝える者に変えられました。驚くべき変身を遂げたのです。
それまでキリスト教はほとんどイスラエル(ユダヤ人)だけに限定されていましたが、サウロの登場によってキリスト教は世界宗教となりました。今では世界一多くの信者を有しています。それはパウロの働きによるところが大きいのです。サウロはまさに神の選びの器でした。
パウロの年表は以下のようになると思います(誤差はあります)。
紀元後5-10年頃 タルソで誕生
30年 ナザレのイエスの十字架と復活
33年頃 ダマスコ途上でイエスに出会う(使徒の働き9:1-19)
33-36年 ダマスコ⇒アラビア⇒再びダマスコへ(使徒9:19-25)
36年 エルサレム訪問(使徒9:26-29)
36-46年 タルソへ(使徒9:30)。
46年 バルナバによってアンテオケに連れて来られる(使徒11:25-26)
46/47年 大飢饉を支援するためエルサレム訪問(使徒11:27-30)
47-48年 バルナバと第一回宣教旅行(使徒13:4-14:26、ガラテヤ地方)
「ガラテヤ人への手紙」執筆
48/49年 エルサレム会議(使徒15章)
49-52年 シラスと第二回宣教旅行(使徒15:36-18:22、ギリシャ)
「テサロニケ人への手紙第一、第二」(終末論)執筆
51-52年 コリントで伝道(使徒18:11)
53-57年 第三回宣教旅行(使徒18:23-20:38、エペソ)
54-56年 エペソで伝道、コリントへ(使徒19,20章)
「コリント人への手紙第一、第二」「ローマ人への手紙」(ガラテヤ書も含めて4大書簡と言われる)執筆
57年 コリントからエルサレムへ(使徒21:1-16)
57-59年 エルサレムとカイザリヤでの公判と投獄(使徒21:17-26:32)
「ピリピ人への手紙」「ピレモンへの手紙」「コロサイ人への手紙」「エペソ人への手紙」(獄中書簡)執筆
59,60年 ローマへの航海、マルタでの難破、ローマに到着(使徒27:1-28:15)
60-62年 ローマでの自宅軟禁(使徒28:16-31)
62-64年 さらなる宣教旅行。スペインへ?(使徒の働き以後)
「テモテへの手紙第一、第二」「テトスへの手紙」(牧会書簡)執筆
64年 ローマの大火。キリスト者に対する迫害
64年? 殉教
彼は宣教者(伝道者)としても、神学者(聖書学者)としても超一流でした。彼は3度世界伝道旅行(AD45~48年頃、50~53年頃、54~57年頃)へ行き、多くの人々にイエス・キリストを伝え、行く先々で教会(クリスチャンの集まり)を新しくはじめました(次の場所へ行く時に、その教会の責任を他の人に委ねました)。この3度にわたる世界伝道旅行でヨーロッパをキリスト教化する礎を据えました。
またパウロの13書簡(手紙)が新約聖書に収められています。彼はこれらの手紙によって教会に訓戒を与え、励ましました。彼の愛と気配りを見ることができます。伝道者としてだけでなく牧師としても優れていたのです。特にローマ人への手紙は、教会史&世界史に大きな影響を与え続けています。マルチン・ルターの宗教改革は彼がローマ人への手紙を研究して、彼の「目からうろこ」が落ちた時にはじまったと言えるのです。
上記の年表を参考にしながら使徒の働きをベースにしてパウロの手紙を読んでいくと全体像が理解しやすいのではないかと思います。パウロは伝道旅行をしながら教会を開拓していきました。その旅行の間に教会へ手紙を書いたのです。
21世紀もパウロから学ぶことはたくさんあります。現在世界で最も注目されている神学者と言われるイギリスの新約聖書学者N.T.ライトの本はパウロ神学を理解する上で助けになると思います。
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