「イエスは十字架で死なれ、墓に葬られました。しかし、3日後に死からよみがえられました。」このことをイエスの弟子たちは宣べ伝えました。
イエスの復活という途方もないことをどのように信じられるのかと言う人がいます。復活を「信じられないから信じない」とするだけなら、そのような人は哲学者になることはできないでしょう。復活を信じない人がいる一方で、歴史的にみて復活の信ぴょう性が高いためにイエスを信じる人が多いのも事実です。
イエスの復活は再現することのできないものです。復活が事実かどうかは、状況証拠を集めて判断するしかありません。その際重要なのは、イエスの復活を目撃したと証言しているイエスの弟子たちの信憑性です。もし弟子たちが信頼できる人物たちであり、その証言にも信憑性があるとするなら、否定する根拠がなくなります。
この点に関して、リチャード・ニクソン元アメリカ大統領の側近であったチャック・コルソンが非常に興味深いことを語っています。
ニクソン大統領はアメリカ大統領選挙戦の最中に起こったウォーターゲート事件(1972年)を契機として、大統領辞任に追い込まれていきました。この事件は、ニクソン再選委員会(共和党)が組織した一味7名が、民主党選挙対策本部に盗聴器を仕掛けようとして忍び込み、守衛に見つかってその場で逮捕されるというものでした。彼らが不法侵入したのがワシントンDCの「ウォーターゲート・ビル」であったことから、「ウォーターゲート事件」という名がつけられました。
チャック・コルソン(1931年 – 2012年)
この事件の関与で有罪となった側近の一人が、チャック・コルソンです。その後、彼は獄中で回心してクリスチャンとなり、アメリカの監獄制度の改善のために人生を捧げる決心をします。その彼が、イエスの復活に関してこのように言っています。
「 「イエスの復活は事実か?」と質問されると、私は『イエスの側近の12使徒たちと500人の弟子たちは、自分たちが目撃した事実を書いているのだ』と答えることにしている。すると、『どうしてそれが事実だと分かるのか?』との質問が返ってくる。そこで私は、ウォーターゲート事件を例に挙げて説明する。
その事件は、大統領に忠誠を誓った側近たちが共謀して起こした事件である。しかし、側近の一人(大統領法律顧問)のジョン・ディーンが、当局の調査が始まってたった二週間で、わが身を守るためにニクソンに不利な証言をした。たった二週間でこの事件の隠蔽工作は失敗に終わったのだ。そうなると、誰もかれもが罪を軽くしてもらうために証言を始めた。
大統領の側近たちが直面していたのは、死刑ではなく単なる投獄の可能性である。それに対して、イエスの弟子たちは死の危険性に直面していた。それにも関わらず、あの無力な12人の男たち(もちろんトマスを含む)は、最後までイエスは肉体的に復活したという証言を曲げることはなかった。もしそれが陰謀だとするなら、殺される前にその中の一人くらいは白状したはずである。人は真実のためには命を捨てても、嘘のために命を捨てることはない。ウォーターゲート事件の隠蔽工作は、人間の本性を明らかにしている。
イエスの弟子たちは、イエスの復活を否定することができなかった。復活のイエスに直接出会ったからである。二千年経っても、イエスが復活し、今も生きているという事実は変わらない。その事実が、世界中のクリスチャンたちを励ますのだ。その事実の上に、私たちは自分の人生を築き上げるのだ。」
以上がチャック・コルソンの言葉です。イエスの弟子たち全員が、イエスが逮捕された夜、恐怖のためにイエスを捨てて逃げました。彼らは特別な人たちではなく、私たちと同じように臆病な性格を持った普通の人たちです。その彼らがなぜ、短期間の内に変貌を遂げることができたのでしょうか。
イエスの死と復活を宣べ伝えたために、12使徒たち全員が激しい迫害にあっています。12人のうちの11人が殉教の死を遂げています(ヨハネだけ黙示録を書くために神によって生かされました)。残酷な死を経験した者も何人かいます。例えば、ヨハネの兄ヤコブは首をはねられて死に、ペテロは逆さ十字架にかけられて死にました。また弟子たちの中には煮えたぎる油の中で死んでいった者や生きたまま皮膚をはがされて殺された者もいます。イエスを拒否し背教すれば、生き延びる機会もあったはずですが、誰一人としてイエスの復活を否んだ者はいませんでした。
もしイエスの復活が作り話であるなら、彼らは果たして殉教の死を選んだでしょうか。素朴な男たちが、最後まで「イエスは復活した」という証言を変えなかった理由は何でしょうか。これは、一人ひとりが自分なりの結論を出さなければいけない問いだと思います。なぜなら、これは歴史上の大事件であり、私たちの人生にも大いに関係があるからです。
イエスが復活していなかったら、新約聖書が書かれることはなかったでしょう、そしてキリスト教が全世界に広まることも、世界で最も多くの信者数を獲得することもなかったでしょう。
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