NHKのテレビ番組100分de名著で取り上げられていましたが、『人新世の「資本論」』という本で著者の斎藤幸平氏は、このまま資本主義の際限なき利潤追求を止めなければ地球環境が破壊されてしまうと警告しています。人新世とは、人類が地球を破壊しつくす時代のことです。成長を追い求めるのをやめ、脱成長時代を勧めています。「労働を抜本的に変革し、搾取と支配の階級的対立を乗り越え、自由、平等で、公正かつ持続可能な社会を打ち立てる。これこそが、新世代の脱成長論である」「無限の経済成長を断念し、万人の繁栄と持続可能性に重きを置くという自己抑制こそが、「自由の国」を拡張し、脱成長コミュニズムという未来を作り出すのである」と書いています。
お金を儲けること、有名になることだけが人生の目的となっていくならば、人間としての本来の存在価値を見失ってしまうことになります。今の行き過ぎた資本主義は人を幸せにすることはできないでしょう。どんなにお金を稼ぎ、お金を蓄えても、死んでしまったらそのお金はどうなってしまうのでしょうか。政治的な権力、社会的な名誉、華々しい肩書を得ても、死んでいのちを失ってしまえばむなしい結果に終わってしまうのではないでしょうか。
聖書は言います。人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう(マタイの福音書16章26節)。
斎藤幸平氏によると「21世紀の資本」で有名なトマ・ピケティも2019年に刊行した「資本とイデオロギー」で似たようなことを書いているそうです。ただ「参加型社会主義」はソ連型社会主義とは全く違うということを著者は強調しています。「独裁的なソ連に対して、「参加型社会主義」は、市民の自治と相互扶助の力を草の根から養うことで、持続可能な社会へ転換しようと試みるのだ。今、ピケティと晩期マルクスの立場はかつてないほどに近づいているのである。」
私が大学の経済学部で学んでいた時は、ソ連が崩壊してから数年しか経っていなかったので、マルクスは全く参考にならないという空気が漂っていましたが、ソ連崩壊から30年が経ち、資本主義が行き過ぎ、コロナウイルスのこともあり、今、マルクスの資本論が見直されているのでしょう。
ケインズのライバルで、「創造的破壊」などイノベーション理論を確立した経済学者ヨゼフ・シュンペーターは、20世紀半ば、著書「資本主義・社会主義・民主主義」の中で、資本主義は生き延びることができるのか、という問いと向き合っています。彼は、「資本主義は、成功することによって生き延びることはできない」と言い、これから資本主義は自信を失い、衰退していくと書きました。そしてその後継者として社会主義を強く志向するような事態を作り出すだろうと。
マルクスが「資本主義は失敗することによって生き延びることができない」と言ったのに対して、シュムペーターは「資本主義は成功することによって生き延びることはできない」と言いました。「資本主義は失敗し、崩壊する」と言ったマルクスに対しては、「資本主義は成功する」と言いましたが、「資本主義は生き延びることはできない」と予言的に書いています。
コロナ禍で資本主義の限界が見え始めているのではないでしょうか。社会主義に向かうのが良いとは思いませんが、資本主義に対しての再考が求められているでしょう。目に見える物質主義、大量生産大量浪費から解放され、21世紀は目に見えないものにもっと重きを置くべきではないでしょうか。
他人の目を気にして真理を探し求めないなら、まことのいのちを損じてしまうことになってしまいます。神が提供しようとする良きものを、探求心と好奇心、そして勇気を持って受け取ること、また他人の目を気にせずに危険を冒して切り開いていくことが大事だと思います。神が存在することを認め、真理に出会い、神に人生をかけた人が、最終的にはまことのいのちを見い出すことができます。
生涯において様々な多くのものを獲得して人生を終えようとする時に、一番大切なものは得ていなかった、一番重要なものは失っていた、ということがあり得ます。それは悲劇です。
人生で追い求める多くは物質的なものではないでしょうか。しかし残念ながら物質的なものは、死ぬ時には何一つ持っていくことはできません。物質的なものを追い求めていく過程で、自分の心を失ってしまうならば悲惨です。物質は体のために食べる物や飲むものを買うことはできますが、傷ついた心を癒したり、孤独な魂を慰めることはできませんし、霊的ないのちを与えることもできません。
人間は「神の像」に創られたので、神のかたちとは違う生き方をすると、いのちが削られていくでしょう。過度の不安と心配、ストレスで本来の自分自身を見失ってしまいます。「神のかたち」を取り戻し、回復させていくことが大事になります。「まことのいのち」を取り戻すということです。
イエスは言われました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネの福音書14章6節)「まことのいのち」は全世界を手に入れるよりも価値があります。なぜなら、それは一時的ではなく、永遠に続くからです。
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